第五章 野口整体と心身医学の共通点 三5
一般にストレスというと「○○が原因でストレスを感じる」と、外的要因とそれに対する反応、と考えるものです。これが科学的なストレスの考え方(ストレス理論)であり、そういう理解が一般的なのですが、それだけでは自分の問題というのが見えにくくなってしまいます。
前回のIさんの例で言えば、「支払いの悪い不動産屋」が原因であり、Iさんはその人のせいで体調を崩したと言えましょう。
しかし、そのまま感情的停滞の中にいることが無意識的かつ問題意識がない(それが常態化している)状態というのは自分の問題であり、仕事にも健康にも悪影響が及ぶことは避けられません。
そこで個人指導を通じてその状態に不快を感じるようになること、そして個人指導直後の、整った状態が自分本来のあり方だと学習していくことが必要なのです。
こうして、不快を抜け出し、快を保つ意欲を持つことが、整体生活=野口整体のストレスに対する取り組みなのです。
また、今回の内容で、Iさんは自分のそういう生活が息子に与えたかもしれない影響に気づきます。親の潜在意識化した不快情動に、子どもが無意識に同調して、内在化してしまうのです。これは教育というより体から体への感染というべきもので、親も子も意図せずそうなってしまうのです。
Iさんは共働き家庭で、子どもたちが小さいときは自営のIさんが食事をつくり、お風呂に入れて寝付かせるところまで面倒を見たそうです。そんなに可愛がっているのに、悪影響を与えてしまうことがある…というのが恐ろしいと思います。
それでは今回の内容に入ります。
「主体性のない生き方」という自身の問題に気づく
今回は、仕事上で「自分は何と人がいいのか」と呆れ、自分に怒ったということですが、ここで問題になったのは、以前ほどではないのですが、家で仕事をする時になると意欲がわかず、インターネットを見て時間を潰してしまい、やるべき仕事がここ数日できていないことでした。
私の指導で取り上げるのは、仕事上での人との付き合い方ではなく、このような「怒り」という感情です。
私のところに来た当初ですと、Iさんはこのように「怒り」を覚えた後は、相当に「うつ」に入っていたのです。当然仕事もしなくなり、家長としての信頼も減じますし、家の中も暗くなろうというものです。
この一年半ほど後、Iさんの息子さんが就職先を辞めて実家に戻ってきたことがありました。その頃、息子さんは「外反母趾で痛くてしょうがない」と訴えていたそうで、Iさんは「外反母趾って、なぜなるのですか」と私に尋ねたことがあります。
私は「本気で生きていないとなり易い」と答えました。
その時、Iさんは私の足を見て「人間の足とは、本来(本気で生きている場合)こういうものなのだ」と感じたことがきっかけで、「人は、身体を観て、何かを教わる(生き方を見てとる)ものなのだ!」と気付いたとのことです。
ここからIさんは「自分を見ていて、息子がそういう風になったのかな」と、自身の生活が息子に与えた影響について考えるようになりました。
Iさんは、独立して仕事をしているのですが、「これまで営業をしたことがない」と言います。そんな状況の中、来る仕事はあまりお金にはならないような半端仕事ばかりで、仕事に意欲が持てず、受け身だったとIさんは話していました。
測量全般における仕事選びでも「何をやりたいのかわからない」、そして以前に私が言った「今まで決断をしてこなかったね」という言葉を思い返し、「自分はある程度決断して生きて来たと思っていたけど、それは決断ではなく状況を見て取捨選択をしていただけで、自分がどうやって生きていくかという積極的な決心はしてこなかった」と気付きました。
今は、子どもに対して親としての関心が薄かった上、「自分がきちんと生きている姿を見せて来なかった」ということを反省している、と振り返っていました。
(補足)その後、Iさんの息子は家を出て、新しい生活を始めるようになりました。そこまでの過程で、全力発揮し、自分の心で生きる大人を求めて会いに行ったりする時期があったそうです。
自分が全生していないから、子どもがそういう大人を求めて外に向っていったのだ…と、Iさんはどこか嬉しそうに話してくれました。
この頃、Iさんが自分の内に向い、子どもに与えた影響に気づいて反省したことが、息子の旅立ちとつながっているように思えます。
それも、潜在意識のはたらきと言えましょう。
近藤