第五章 野口整体と心身医学の共通点 三(補1)
補足1 Iさんの指導例のまとめ
先生が亡くなる直前の原稿にはないのですが、Iさんの指導例としてまとめた原稿の中にあった内容を転載し補足とします。
これは、このIさんの指導例のまとめとなる部分です。
「感情」に対する「身体的取り組み・正坐」がもたらすもの― 主体的自己把持感覚を育てる
本章(第五章一 1)の始めに「『感情』に触れることは一般的な医療においてはありません」と述べました。
私が勧める「感情」に対する「身体的な取り組み」として正坐が挙げられます。正坐をすることに主体的に取り組み、「上虚下実」の身体作りをする(気が下がる状態になる)ことで、「瞑想的身体」の心地よさを知ることが大切だと考えています。
私はIさんに、ある時の指導で、
怒りがないように人に見せなければならない時もある。でもそれで、自分をごまかしては駄目。無意識的なままだから自分の感情に自身が支配される。
腰ができる(肚ができる前に腰が大切)と、自分の心を制御できるようになり、感情に支配されなくなる。人はごまかせるけれど自分はごまかせない。
これまでは無意識的に自分に蓋をしていたけれど、気持ちを通す力として、その感情のエネルギーを使えるようにすること。
『自分を整えること』こそ修行だ!
と言いました。
長く指導を重ねる中で観察を繰り返し、これに基づくこのような信念が、Iさんに貫通したと感じられた時から、彼の私に対する態度に一層の礼節が表れるようになりました。
彼に最も必要なことは、主体性を持って正坐をすることです。正坐は腰を鍛え、立腰(腰を立てる)は闊達な(度量が広く物事にこだわらない)心を養うものです。「腰が据わる」よう修養することで、「捉われぬ心」を養うことです。
私が「腰・肚」を強調するのは、腰が据わる(=中心ができる)ことによって、身体各部の働きがきちんとするからです。
このように、本来の「自己」を発揮していこうと、身体を鍛錬し、統一体であろうとする意識を「主体的自己把持」と言います。
Iさんは、昨年からは、夕食時には心して正坐を続けているとのことでした。
すると、以前のような生活をしていた時の、仕事上で付き合いがあった人たちとは、次第に縁が切れて行ったと言います。
彼の仕事は、不動産関連という不況の影響を受けやすい職種で、以前は不景気が来るという情報が入ると、不安で動揺していたとのことですが、今は落ち着いていられるようになってきました。
そして8種体癖のある彼は、体調を崩すと、食べ過ぎ・飲み過ぎ以外にも、尿が散るということがありました。しかし、今は「尿がどういう状態で出るか」ということを、自分の調子を見るバロメーターとしているとのことです。
そして散水状態になった日の夕食時に正坐をすると、両方の踵が「高い」と感じるようになってきました。これは、頭の緊張でアキレス腱が硬くなっているからです。
このように、正坐をきちんと続けることは、身体感覚を養うことになるのです。
自分の思ったこと・感じたことを言葉にするのが苦手なOさんは、言葉が出にくいことに劣等感を持つことで、さらに「言わない(言うものか!)」というように意固地になっていましたが、彼は、少しずつ取引先との交渉ができるようになってきたようです。
私はこれまで、「対話能力の発達」が彼の課題と捉え、指導の中心においてきました。これは、身体の弾力を取り戻すことで自身の心が開かれ、人生の質が変わっていくという、「開放系の人間観」の内容と重なります。
ユング心理学における「自己実現(個性化の過程)」とは、外的世界との交渉の主体である自我が、自己との心的エネルギーを介しての力動(註)的な運動で、変容・成長し、理想的な「完全な人間」を目指すというものです。自己実現は、他者との気のつながり(=開放系)によってのみ可能なのです。
(註)力動 正しくは精神力動といい、葛藤や否認など、心の営みが生み出す力と力が織りなしていく動きのこと。
内にある強さが、外側に(社会的に)活かされるよう指導が進むことで(自我「交渉力・対話能力」を強化することによって)、徐々にIさんとしての真の「個性化(自己実現)」が進むことを期待しています。
病症を経過することで、
整体への道に進む人を健康と呼ぶ。
金井省蒼