野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第七章 禅文化「道」としての野口整体― 瞑想法(セルフコントロール)と心理療法 二 1

二 「整体を保つ」という生き方とは「内を整える」こと 

東洋宗教に共通する基礎体験は「瞑想法」― その心理学的意味

  個人指導は、整体操法を施す(体を整える)こと、そして臨床心理的に行うことに特長があり、自力と他力の融合により瞑想的な意識に導き(「身心統一」を図り)、「感受性を高度ならしむる」ことが目的です。

 感受性が高度な状態に至るには、日々生ずる情動によって蓄えられるエネルギーが、活元運動によって解放される身体となることです。整体とは敏感な身体で、「身体感覚」の向上が鍵となります。

「体でも心でも、異常を異常と感ずれば治る」という師野口晴哉の言葉は、そのまま、身体感覚が喚び起す自然治癒力への信頼を意味します。

 私は上巻で、次のように述べました。

5 東洋宗教に共通する基礎体験は「瞑想法」― その心理学的意味

湯浅泰雄氏は、東洋宗教(儒・仏・道教)に共通する「修行法」の基礎体験として、儒教の「静坐」、仏教の「坐禅」、道教の「練丹(註)」「導引(註)」を挙げ、これらが「瞑想法」であると述べています(『気・修行・身体』第二章)。

(註)練丹 心気(心と気)を丹田に集中して心身を練る術。

導引 身体を屈伸して正気(天地にみなぎっている至公・至大・至正な天地の気)を導き、身心を調整する養生術。 

 瞑想(註)とは、「内なる世界」を見つめる訓練であり、「内」とは体の内部(内臓のことではない)、「こころ」また「たましい」の世界を意味しています。

 それは、目覚めている時に考えることを止(や)めることであり、「考えないという意識」を持つことです。

 思考が止まない(=感情が静まらない)のは、腰が自分の身の内からなくなっているからですが、腰が据わる(腰にきちんと力が入る=腰を身の内にする)ことで、意識のはたらきを静め(考えることが止まり感じることができ)、心を深めることができるのです(それで、内なる自然・無意識とつながる)。

 瞑想は自身の身体の内側に向かい、沈黙と静(活元運動の場合「動中静」)の状態をできるだけ長く保持する訓練を通じて、心の底の方から湧き出してくる雑念を流し(浮かんできたままにし、流れることで無くなる)、心が澄みきった状態を経験することを目指します。

「無我」とか「無心」、つまり自分という意識(自我意識)が消え去った状態です。これを習慣づける(日常化する)と、日々生じている雑念が取り除かれ、必要・不必要な情報を整理する心のはたらき(脳の作用)となります。

 心が澄んだ状態を目指す瞑想法は、心理学的にみれば、自分の内に見出される特有の心の動き方(心のくせ・心の傾向)に注意し、そのはたらき方をコントロールすることで、その傾向をもたらしている「感受性の歪み」を次第に変えてゆく訓練なのです。

  野口整体の個人指導・活元運動は、このような心理的理解を以って行うことが肝要で、東洋宗教修行同様、自己に対する信頼を培う瞑想行ということです。

 湯浅泰雄氏は「瞑想は、無意識の領域に隠れた情動やコンプレックスを表面化させ、それを解消し、無意識のエネルギーを自由に制御できるようにする方法と述べ、心理療法と瞑想(東洋的身体行)の共通点と違いについて、次のように述べています(『気・修行・身体』平河出版)。 

3 瞑想の深層心理学的意味と心理療法

心理療法と瞑想は…、心理学的にみれば同じ無意識のメカニズムをとりあつかっているのですが、出発点と目標にちがいがあるわけです。心理療法は、神経症の患者、つまり病的異常状態に陥った人を、正常なレベルまで回復させる方法です。

これに対して瞑想による修行は、── 身体の能力をより高めていく運動の訓練や健康法の実修と同じように ── 心のはたらきを現在よりもつよめ、もっと向上させていく訓練法であるといえるでしょう。いいかえれば、心理療法は、意識と無意識の間に生じたズレをもとへ戻す方法であるといえますが、修行は、意識のはたらきと無意識のはたらきを統合する力をだんだんと強め、自分特有の情動のパターン(心のくせ)やコンプレックスをコントロールし、さらにより高く変化させていくことを目的にしているといえるでしょう。

たとえば、すぐに怒りだすとか、気が小さくて臆病であるといった心のくせを直し、いつも平静で、愛情をもって人に接することができるような人間になるということが、無意識をコントロールして意識に統合する力を身につけることであるといってもいいでしょう。

  このような東洋宗教の修行法(瞑想)の意味が何ら体得されないままでは、野口整体を身につけることはできません。

 野口整体は「人間の自然」を理解し、これと共存、さらには、内なる自然を活かすという、東洋宗教の伝統を受け継ぐ身体行と思想なのです。

(註)瞑想法

 一般的な瞑想法の説明は、姿勢を正して坐り(腰骨を立て上体の力を抜いて)、呼吸に意識を集中する。外界に向いていた意識を、内界(皮膚とその内側)・身体感覚や呼吸に向けて、只管(ひたすら)に坐る(只管打坐(しかんたざ))。

 考える理性的な意識のレベルが下がり、変性意識状態に導かれる(活元運動の場合も同様)。この変性意識状態が、一時的「自我の消失(無我・無心)」であり、DMN機能を十全ならしめる。