野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第七章 禅文化「道」としての野口整体― 瞑想法(セルフコントロール)と心理療法 二2

 今回は呼吸法、とくに野口整体の中心的行法、脊髄行気法が主題となっています。また、活元運動の準備として行う邪気の吐出法も呼吸法の一つということができ、ここで述べられている体から心へ働きかけることを目的としています。活元運動が出るようにするため、というだけではなく、活元運動が出る心の状態に入るため、なのです。

 それでは内容に入ります。 

調身・調息・調心の瞑想法

  東洋宗教(儒教・仏教・道教)に共通している特徴として、「調身・調息・調心」による瞑想法が挙げられます。

「調身」は体をととのえることで、「調心」は心をととのえること、つまり、意識と無意識を含めた「心」の潜在能力を高める訓練です。真ん中にある「調息」、これは呼吸法の訓練ですが、「調身」と「調心」を結ぶ中心的役割を果たす重要なものです。「調息」は「調気」とも言われ、「気」の訓練を意味しています。

 このような呼吸法による「気」の訓練は、心の訓練と身体の訓練を一つに結び付ける要の位置に置かれているものです。

 ここで大切なのが、呼吸は呼吸器(鼻から肺)で行うものと思う人が多くいますが、東洋的身体観では、全身にて行うものであるという点です。これが「気」の呼吸法です。

 野口整体の気の呼吸法として、脊髄行気法があります。これは、頭頂より脊髄の中心管に息を吸っていくものです(大泉門から仙椎や丹田まで、または後頭部や第七頸椎から第五腰椎まで)。

 師野口晴哉は脊髄行気法について、次のように述べています(『風声明語』)。

背骨で呼吸せよ

 呼吸は鼻でするものときめてしまっている人がある。しかし呼吸は全身でしている。

 中でも大切なことは背骨で呼吸することだ。特に心を背骨に集中して背骨で腰髄迄吸い込むことは、一切の健康問題を解決する力をもっている。そして背から腰で息を調えると、疲れない、老いない。いつも元気に活き活き生きられる。ぜひ実行せよ。

 吾々は今迄健康法というといろいろの体操類似行為を連想し、養生法というと飲食物の摂取方法の如く考え、修養法というといろいろの観念をこらすことの如く考えて、心を無にし呼吸を調えることの重要なことを閑却していた嫌いがある。

 しかし息が乱れては運動もスムーズにはゆかない。足に力があっても駈けつづけるわけにはゆかない。人間という生活機関の原動力としては、飲食より空気の方が一そう端的である。

 どんなに観念をこらしても、心を無にするより他に呼吸を静かにする状態はない。

 東洋に於ける古来の養生修身の方法が、一致した如く、呼吸を深くして調えることにつきていることは故なきではない。

 インドに於けるアナ・アバーナ、中国に於ける練丹術、我が国に於ける息長(おきなが)の術、その他古人の体験によって行なわれ伝えられたもので呼吸を無視したものは一つもない。剣をとるにも、花を活けるにも、茶をたてるにも、息ということを無視してその真髄はつかめない。

 養生修身の道に、心を無にし息を調えることが閑却されているということは、養生修身の道の不徹底なるを物語るものだ。余りに外物に頼り過ぎて自分を失っていたのである。この辺で落ち着いて調息のことを生活にとり入れる考えを持つ可きだろう。