野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第七章 禅文化「道」としての野口整体― 瞑想法(セルフコントロール)と心理療法 二3

呼吸法の訓練の意義

  呼吸が楽にできない体は、弛みが悪い体です。よく脱力できれば、自ずと呼吸は深くなります。それは、弛むことで十分「吐く」ことができ、その結果「吸う」ことが心地よくできるのです。それで、よく弛む体は、よく緊まることができるのです。

 そして、心地良い緊まりは自発的な意欲につながりますから、体がよく弛む(息を十分に吐くことができる)人は、「きちんと物事をする」ことができることになります。

 自分の将来や、仕事や人間関係に「いきづまる」ということがありますが、こういう時は本当に「息が詰まっている」のです。弛まないことで良い解決方法に気づけないでいるのです。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という諺がありますが、身も心も脱力することで、救われるという意味です。また「ため息」とは、溜まっている息を吐き出す行為ですが、ため息がつければ少しでも弛むことができます。

 呼吸が浅く短いと、自分を感じることも自分に気を通すこともできません。気は長い呼吸により通っていきます。

 ここで大事なことは、呼吸器には随意筋と不随意筋の両方が関係しているということです。つまり呼吸は、意志によってコントロールでき、ある程度までゆっくり、また深くすることが可能です。しかし、眠っている時は意識のはたらきがないにもかかわらず呼吸は続いています。

 これは、呼吸器が皮質系の運動神経による支配と、皮質下中枢系の自律神経に支配されていることを意味しています。

 従って、呼吸法の訓練をすることは、皮質系機能(意識)と自律系機能(無意識)の間に条件反射性の新しい一時的回路を作り出す(自律系の生理的機能に影響を及ぼす)ことができます(第五章一参照)。

呼吸の訓練、つまり、普段は不随意的(無意識)に行われる呼吸を、随意的に(=自分の意志を以って)行う訓練とは、呼吸器を通じて自律系機能全体を、ある程度意識の支配下に置くことができるわけです。

 これは、呼吸法の訓練によって、不快情動による「呼吸が浅くなる」こと(交感神経が働くことでの身体の硬張り)を少なくすることができ、それで「感情の制御」に役立つのです。

 特に、先の脊髄行気法を擁する「脊骨を重要視する」野口整体においては、背骨を常に意識することになり、ここに「気」を置くことで、情動(陰性感情による)が起きた場合の呼吸の乱れも小さく留めることができます(これが型を身につけることの意義)。

 ある強い情動(陰性感情による)によって、心身が不調となることは、それ以前の心身に対して、意識と無意識が不統合状態になったことを意味します。

 このような生活上の弊害を少なくする上で、普段の呼吸法の訓練は非常に大切なものです。息を保つことは、気を保つことであり、じねんを保つことなのです。

(補)呼吸のしくみと呼吸法

 呼吸は肺ですると思っている人が多いのですが、肺は自ら膨らんだり、縮んだりすることはできません。体幹にある、さまざまな筋肉(呼吸筋)のはたらきによって、呼吸が行われています。

 呼吸には表在筋(随意的運動)と深層筋(自動的運動)の両方が関わっていて、呼吸が浅く、息苦しい時は、脳(脳幹・大脳皮質)と呼吸筋のはたらきにミスマッチが起きていると考えられ、ここに情動が大きく関わっています。そして呼吸法には、脳と呼吸筋との感覚情報の連絡と連動を高め、脳から体への働きかけを高める意味があるのです。

(文責 近藤佐和子)