野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第七章 禅文化「道」としての野口整体― 瞑想法(セルフコントロール)と心理療法 三1

三 瞑想的意識に導く整体指導

 ここで、すこしユング心理学と個人指導についておさらいしておきましょう。詳しくは第四章を読んでください。

 ユングは、無意識から意識へのエネルギーの流れがあると考えました。これは「心的エネルギー」というもので、「気」と同じと考えてよいものです。

 たとえば、抑うつ状態にある時は、落ち込んで何もやる気がしなくなったり、やらなければと頭の中で焦るばかりで行動できなくなったりしますが、こういう時は無意識の側に心的エネルギーが滞留していて、意識の覚醒度が下がっています。

こうしたことはコンプレックス、抑圧によって感情エネルギーの固まりができていることで起こります。自我の役割は、無意識の声を聴き、それを適切に外在化し実現することにあるのですが、それができないとエネルギーが鬱滞し、意識がコンプレックスに支配され、雑念妄念が止まず苦しむことにもなります(腰が入らないので行動にならない)。

こういう状態を「意識水準の低下」というのですが、だいたい意識水準が低下する前には睡眠が浅くなって体が弛まず、休まらない状態にあるものです。これは心理的のみならず、風邪など体調を崩す前も同様で、ある程度の意識水準の低下が起きています(集注力の低下、眠気やだるさなど)。

休まらない=無意識から意識へとエネルギーが流れてこない状態があるのに、それを無視して強引に意識がエネルギーを使い続けることはできず、意識水準が低下するのです(低下しない人もいるが、そのままだと生命秩序の方が破綻し、最終的には大病につながる)。

 身体の偏りは潜在意識のありようを表す

  整体指導者の私にとって、自我の主体性を奪う「コンプレックス」を中心とした、ユング心理学の理論は大いなる思想となりました。

 コンプレックスは、その人その人に固有な心の動き方のパターン・感受性(日常の対人関係、体癖、生育歴)といったものに関係しています。

 しかし、日常を忙しく生きていると、「自分特有の心の動き方(潜在意識のはたらき方)」に気付くことは容易ではありません。問題となる「心の動き」とは、そのまま「体の偏り」なのです(繰り返される情動パターンによる)。

 意識下に抑圧された感情が、潜在意識のはたらきとなって意識と無意識の統合を妨げるのです。これを、身体上の偏り(歪み)として観察し、受け取り指導するのが「金井流個人指導」です。

 師は「人間の自然」について、次のように述べています(『月刊全生』)。 

体の記憶 3(七頁)

一番大事なことは、体の自然の恢復だと思うのです。自然というと、放っておくことだと思う人がいるのですが、一部分硬張っていれば自然ではないのです。心の中にこだわりを作ったり、「あの人が憎い!」なんて思って暮らしていたって、それは自然ではない。人間の自然には本来そんな憎しみなどないのです。そんなもの作りっぱなしで暮していたって、それは自然ではない。だから、心も体も自然のまま保つようにするには、鍛錬する必要があると私は思うのです。しかもその鍛錬は活元運動によれば意識しないで自然に行なわれる。

 

 「心も体も自然のまま保つ」とは、心の流れ(体の弾力)・天心を保つことです。師野口晴哉は、天心を「無心となってぽかんとすること」と、説いています。幼い時の天心は当たり前ですが、大人の天心は容易ではなく、このために「鍛錬する必要がある」のです。

 活元運動も個人指導もコンプレックス(エネルギーの停滞)を対象にしているのです。そして、コンプレックスが解消する(停滞していたエネルギーが流れる)ことで、意識は明瞭となるのです。