野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第七章 禅文化「道」としての野口整体― 瞑想法(セルフコントロール)と心理療法 三2①

 ユングは「意識水準の低下」ということばをよく使います。

 たとえば抑うつ状態にある時は、落ち込んで何もやる気がしなくなったり、やらなければと頭の中で焦るばかりで行動できなくなったりしますが、こういう時は無意識の側に心的エネルギーが滞留していて、意識の覚醒度が下がっています。

 こういう状態を「意識水準の低下」というのですが、だいたい意識水準が低下する前には睡眠が浅くなって体が弛まず、休まらない状態にあるものです。これは心理的のみならず、風邪など体調を崩す前も同様で、ある程度の意識水準の低下が起きています(集注力の低下、眠気やだるさなど)。

 休まらない=無意識から意識へとエネルギーが流れてこない状態があるのに、それを無視して強引に意識がエネルギーを使い続けることはできず、意識水準が低下するのです(低下しない人もいるが、そのままだと生命秩序の方が破綻し、最終的には大病につながる)。

 ユングは、東洋の瞑想法は、外に向かおうとする心的エネルギーの方向を主体的に内界に向け、意図的に「意識水準の低下」を起こして心の深層を意識化し、さらにその奥にある魂への通路を開こうとしているのだと考えました。

 一方、病的な状態では、自分の意志とは関係なく無意識的に「意識水準の低下」が起きてしまうので、自分の状態を把握(意識化)することができません。

 明瞭な意識というのは、無意識から意識へのエネルギーの流れが滞っていない意識のことです。これは整体的に言うと心と体が統一し、全身心が一つになって緊張と弛緩を繰り返している状態であるということなのです。

 明瞭な意識(無意識と統合された)を持って生きる

① 天心とは何か

ユングは、道教の瞑想の書『黄金の華の秘密』(註)(「ヨーロッパの読者のための注解」)で、「道(タオ)」とはコンプレックスに支配されない明瞭な意識を持ち、意識と生命(無意識)を統合して生きることであるとし、次のように述べています。

 1 道(タオ)

そもそも、西洋の精神が「道(タオ)」というような概念をもっていないということは、西洋の特徴である。「道」という漢字は、「首」をあらわす文字と「行く」をあらわす文字(しんにょう)から合成されている。…私には、「首」は「意識」を示し、「行く」〔しんにょう〕は「道(みち)を進むこと」を示しているように解される。

したがって「道」という言葉に含まれている観念は、「真に意識しつつ行くこと」あるいは「はっきりと意識された道(みち)」ということであろう。これは、「道」が、「天上の心」〔天心〕であるところの「両眼の間に住む天上の光」と同じ意味に用いられていることと一致している。

 (註)『黄金の華の秘密』(湯浅泰雄訳)

 道教に禅思想を取り入れた瞑想の書『太乙金華宗旨』を、ヴィルヘルムが独訳し、ユングはこれに注解を書いた。

  この経典の最初の章は「天心(天上の意識)」と題されています。「天心」とは、人間の究極的本性を示す象徴的表現であり、「道(タオ)」のことでもあります。ここでは、「天心とは両眼の間(上丹田)に潜在する天上の光のことである」と説かれています。

「無心」は仏教(禅)の言葉で「天心」は道教老荘思想)の言葉です。

 師野口晴哉は、この二つの言葉を「整体」という概念を示す上で用いており、「天心」を野口整体の世界観の象徴としています。師は天心を保つことについて次のように述べています(『月刊全生』)。

 大人の天心 一九七三年五月整体指導法中等講座

…自然人というのは、敏感なのです。山や海があるから自然というわけではない。人間は智恵があれば智恵を鍛えて、万全に逞しく生ききり得れば、それが自然です。

私が無心とか天心とか言っていますが、赤ちゃんにそんなものは求めないのです。赤ちゃんは天心以外の何物でもないから、赤ちゃんには俗心を持つべく教えております。大人には天心を持てといいます。大人が天心になるのは大変なことです。それがもし赤ちゃんと同じ天心になったとしたならば、大人は俗心を超えてきたのですから、鍛錬されぬいた天心です。

 だから赤ちゃんの天心には自然を観ないが、大人の天心には私は自然を観るのです。自然というものに私は、そういう鍛錬しぬいた一点というか、何かそういうものを観ているのです。だから大人が無心になれば、根性の悪い人が天心になれば、それは見事なものです。

赤ちゃんが天心になるのは少しも見事ではない。赤ちゃんは天心以外にならないのですから。養生でも自然に鍛えられて強くなって、何もしないで丈夫ならばそれが一番よいのです。病気になったら、病気に鍛えられて丈夫になっていけばよいのです。

…人間の体で一番健康状態に関連があるのは体の弾力であります。つまり体や心に弾力を持っていないと体の自然の状態といえないのです。

硬張って、歳をとって死ぬのも当然だけれども、生きていく(る)という面からいうと、硬張っていく(る)のは正常ではないのです。それで体の弾力を、或いは心の弾力というものをどのような状態でも持ち続けるということに於いて鍛錬という問題が出てくるのです。

大人になって天心を保つのは鍛錬が要る。いろいろな問題があって、自然の気持ちを保てないような状態のときにでも尚保ち続けるというのはやはり鍛錬です。