野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

終章 瞑想法(東洋)と心理療法(西洋)―「生命の原理」を理解し、無意識の世界を啓く 二3

整体とは明瞭な意識の状態で、意識と無意識が身体上で統合されている

 ユングは、人格の基盤は、理性ではなく情動性(情性・人を人たらしめる感情的能力)にある、と考えました(→日本の伝統「知よりも情」に同じ)。

 湯浅泰雄氏は、ユングの説く「個性化」と東洋の瞑想の意義について、次のように述べています(『ユング心理学と現代の危機』河出書房新社)。 

人格の完成状態

 ユングは、無意識の究極の次元をセルフ(自己)と名づけ、自我意識がこれと結びつけられる過程を「個性化」とよんだ。誤解されやすい用語であるが、この概念は、ほんとうの意味で「個人となること」を意味する。

私たちはふだん自分は個人であると思っているが、そういう自分は不安定な心をもった存在であって、他人との間に安定した間柄をつくることが容易にできない。ほんとうの意味で「個人となる」というのは、しっかりと安定した人格を自分の中につくりあげることを言うのである。長年にわたって瞑想の体験を重ねてゆくことは、そういう安定した人格をつくりあげることである。 

  野口整体では「全生」の理念により「全力を発揮して生きる」ため、体を整えて使い、弛めて休める(就寝前の活元運動による脱力→熟睡)、という行法の実践を目標としています。

 これは「潜在能力」を、絶えず「無意識」から汲み上げることを意味しています。

 湯浅氏は

「西洋諸国でもヨーガ、禅、チベット密教、東南アジアの仏教など、東洋諸宗教に伝えられてきた瞑想と修行法を学ぶ人たちが増えてきている。…修行というものは元来、心身の能力の訓練を通じて、人間に内在する能力を引き出し、それによって人間としての精神性、つまり「人格」の向上を目指すという倫理的目標を持っているものであった。」

と述べています(『ユング心理学と現代の危機』)。

 東洋では坐による身体行というものを通じて、意識が無意識(生命)から離れないようにすることを伝統智として伝えて来ました。理性のみが発達すると、その意識が感情や無意識から切れていくのです。それで、とりわけ日本では、立腰を重んじてきたのです。禅も然り、「道」を体現するための「腰・肚」文化の意義はここにあります。

 整体とは、明瞭な意識の状態で、本人の意識(感覚・思考・感情)が無意識(要求・魂)と身体上で統合されている、というものです。

 野口整体に関わり、行法を訓練(活元運動、愉気法を実践)し、全生思想の理解を深めていくことは、意識と無意識を統合する力を次第に強め、より高い変容した意識状態に達することが目的なのです。

(変容した意識状態とは、意識が、無意識と統合されることにより「覚醒している」こと)

 これが、湯浅氏が説く「人間に内在する能力」と「しっかりと安定した人格」という「自己のはたらき」を自覚することなのです。