野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

終章 瞑想法(東洋)と心理療法(西洋) ―「生命の原理」を理解し、無意識の世界を啓く 三1①

三 潜在意識を啓く瞑想法と心理療法

 アップする順序を間違えてしまい、申し訳ありません。 順序通り、再アップしました。

 今回から三に入りますが、三は「気」が中心テーマとなっています。気という言葉は、たとえば病院ではまずまともに扱われることはありませんし、現代社会においては、時と場所をわきまえないと「引かれてしまう」ことにもなりかねません。それだけに、ここでは引用を多く用いて、理性的にも受け入れられるようにしています。

 でも、日本語の中には「気になる」など、「気」という言葉がよく出てきますね。今は言葉の上だけですが、少なくとも近代以前(江戸期)までは、敏感な人と鈍い人、また感受する気の質にレベルの高低はあったとしても、気が実在することは共通認識だったのです。

 それどころが、庶民の日常生活のみならず、「宇宙と人間の関係」という東洋文明の根幹にかかわる高度な哲学的主題でもありました。

 気を基にした人間観では、「情動」が重要な意味を持っています。快・不快を基にした情動というのは、個人が環境に適応しているか、不適応なのかを意味しており、体の語る真実の言葉でもあります。

それでは、内容に入ります。 

科学の知と禅の智の相違― 客観的理性と主観的に感得される気

野口整体の「気」の観方は東洋の伝統に基づいている

野口整体の行法・思想に深く関わる、「気」の考え方は東洋の自然観の根幹を成すものでした。東アジアの宗教的な世界(文化の大本)では、気は古くからよく知られ、極めて実践的・体験的性格の強いもので、現代の学問では、深層心理学(無意識の心理学)、心身医学、東洋医学などに関わっています。

 私は、上巻で次のように述べました(『野口整体と科学 活元運動』第一部第二章二 1)。

 西洋医学は病症を対象とし、それに対する療法を行うものですから、そのために病名の特定が第一となります(病気中心主義医学)。

 こうして概念化された病名を通して、医師は患者に、患者は自身に向き合うことになり、特定された病名は固定観念化されていきます。こうしたあり方は、実は「観測によって人に影響を与える」ことなのです。

 師野口晴哉の態度は、生きている人間の全体を捉えるもので、野口整体では、人を「生活している人間」として観、「関係性(どうつながっているか)」の中で「身心」を扱うものです。

 その第一は、自身の「心と体」という関係です。また体の中での部分と部分の関係、さらに自分と家族や、会社での人間関係、地域社会との関係というものです。

「関係性(つながり)」において物事を考えるのが東洋思想で、これは「気」を本にしているのです。

 そして、人間関係の中における個人として捉えようとします(全体性・関係性 → 開放系(複雑系))。

 関係性において重要なのが「気」なのです(気で観ることで、「個人の内側に潜む力の開花」を目的とする)。