野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

終章 瞑想法(東洋)と心理療法(西洋) ―「生命の原理」を理解し、無意識の世界を啓く 三2

人間を理解・把握するための二つの方法 科学的方法・瞑想的方法

― 理性によって学習し研究する近代科学・身体性を高めて気を感得する東洋宗教

  上巻(第一部 第一・二章)で紹介した石川光男氏は、科学的方法と瞑想的方法について、次のように述べています(『西と東の生命観』第三章)。

 

生命の相補性

…身体という物質の構造と機能を詳しく調べていくと、心のはたらきの本質的な意味ははっきりしなくなる。物質から心へという方向の研究でわかることは、心の受動的側面のごく一部にすぎず、心が物質に与える能動的側面はわからなくなってしまう。

 逆に心の本質を深く追求しようとするときには、物質の構造と機能を詳しく調べることはほとんどあきらめなければならない。東洋的な瞑想は、心の本質を深く追求するためのひとつの方法であるように思われるが、脳細胞や神経のはたらきを物理化学的に詳しく調べる研究と深い瞑想を同時に進行させることはできない。

…心と身体の相補性(註)という仮説を最もよく表現しているのは、東洋の心身一如という概念であるということに気がつく。心と身体のいずれにも偏らず、心と身体の両面から総合的に人間を把握しようという考え方は、科学がミクロの世界で見出した相補性という概念にしたがって、自然の本質を理解しようという考え方によく似ている。

 人間に関する生命現象で相補的と思われる概念は、このほかにもいくつか見いだすことができる。顕在意識と潜在意識、理性と直観、なども相補性をもっているとみなすことができよう。

…近代科学は、物質、理性、顕在意識などを重視する立場に立っており、東洋的瞑想は、心、直観、潜在意識等を重視する傾向が強い。どちらの方法も、自然や人間を理解するために有効であるが、その適用にはそれぞれ限界をもっている。科学的方法と瞑想的方法自身が相補的な性格をもっているということもできる。これからの学問においては、その長所、短所をよく検討し、両面からの探求を総合した自然観、人間観を築きあげる努力が必要であろう。

 (註)相補性 光の粒子性(光が物質であること)と波動性(光が波であること)のように、二つの量が同時に測定できない関係にある現象を互いに相補的であるといい、このような性質を言う。

  野口整体の「身心の探究」における心とは、身を先立てての「身心一如」における心のことで、この心とは潜在意識のこと(註)であり、この心が身体に与える能動的側面の探求を専らとするのが野口整体です。

(註)東洋(宗教)的な瞑想法はこのような心を養っていた。

 近代科学は、学習し研究することによって行なわれます。

 頭で行なう学習である近代科学(=研究)と、身体の開墾を主とする東洋宗教(=修行)とは、「理性と身体性」という相違なのです。

 身体性は無意識のはたらきと関わっており、修行を通じて身体を鍛錬することは、無意識を開墾することなのです。

 近代科学的思考によっては意識(顕在意識)が発達し、東洋宗教的身体行によっては無意識(潜在意識)が発達するという相違です。

 肉体・身体という表現をしますと、科学には肉体の「運動能力」はありますが、「身体性」というものはないのです。

 この「身体性」を向上させるのが「修行」というもので、そうしてもたらされる「無意識が耕された」身体によって、実は、自分の意識のあり方がどう変容し成長するか、という問題です(こういう意で、個人指導の場も、他力を主としているが「修行」である)。