野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学―  全生思想

野口整体で云う「整体」とは、全力を発揮して生きるための「身心」のあり方です。

この「心」を説くのが「全生」思想です。 

全生思想

 師野口晴哉は十五歳で道場を開き、治療家として本格的に出発しましたが、その当初からの「全生」思想を通じ、人が全生するため、「心と体」を育てつつ導くという「野口整体の体系」を創始しました。

 全生とは、自然健康を保持し(整体を保っ)て生命を全うすることで、野口整体の基盤となる全生思想は、師野口晴哉の死生観から生まれたものです。

 師は、「死」と題した次の文章で、死と生という対立概念を統合する「死生観」によって、全生思想を表現しています。その中で、「感覚」することの大切さを示唆しています。

 感覚、そして死も生も、科学では扱われていないのです。

 

 人間は誰も死にます。死ななかった人は一人もおりません。それ故、生きている人間の中にはいつも死があります。十年生きたことは、十年死んだのであります。それ故、体を調べることが発達すれば、どの人にも死が行なわれていることが判ります。二十七歳前後までは、生に向かってその体の営みは行なわれておりますが、あとは死ぬ為に生きているのです。人間は安らかに、静かに死ぬ為に生きているのです。

 しかし安らかとか、静かとかいうのも人間のつくったもので、生きれば死ぬのです。溌剌と生きた者は、自ずから静かに眠るのです。生の発揮を説くのもこの為で、人間の生きること、生き切ることは、その生の本来の要求といってよいでしょう。

 全力をもって生きている者には悔いはありません。悔いはズボラな人のものです。悩むのも、苦しむのも、楽しむのも、喜ぶのも、その全力で為して来た者には、悔いの余地はありません。もう一度生まれ直したとて同じことを同じに行なうだけです。人間の生きている間は短いのですから、まず全力を挙げて生きることを心がける可きです。これを全生といいます。

 全力を挙げて行動し、感覚し、死ぬことです。

『風声明語1』

 

 整体を保って生きることで、「全生(生を全う)」できる、と師が説いたのが、野口整体の世界です。

 次は、師の「全生訓」の一節を紹介します(『野口晴哉著作全集第二巻』語録一)。これは、師が二十歳頃、1931年に書かれたもので、全生を「人の道」として表しています。

 

全生訓

人 生きざるべからず

生れたるが故なり

人 全生すべし されど 

人 生くるに非ず

自然 人を通じて生くるなり

 

人の生くるは 之自然の要求なり

人の生を全うするは 人の本分を尽すことなり

人の生きむと努むるこそ 自然なれ 人の道なれ

 

人 生を楽しまざるべからず

死を避くべし 只管 養生全生の道に精進せざるべからず

之人たるが故なり されど 

死 来らば之を恐るゝ勿れ

之を迎えて正しく死すべし

 

人の生くる目的は 自己にあるに非ずして 自然にあるなり

而して人の使命たるや 生くることにあるなり

生あれば死あるなり 死の来るは已に使命の終れるなり

之を恐るゝこと勿れ 之を喜ぶべし

生けるが故に死あり 死あるが故に生あるなり

何れにせよ 自然の要求なり

之に順応すべし

 

人 正しく生き 正しく死すべし

生を楽しみ 死を喜ぶ

之人の自然道なり

覚悟すべし 生死 別ならずして一なり

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人の恐るべきは自己にして 自己以外の何ものとても 恐るべき存在に非ざるなり 

之を理解すべし 之を自覚すべし

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人の生るゝや 生くるなり

生存 生殖 生活 之人の最大なる芸術なり

こゝに自力あり 自力を知れ

之他力を知り 神を悟るの道なり

人 瞑想せよ

静かに坐して

「我あり」と 

(現代語訳)

人はきちんと生きなければならない

それは生まれたからである

人は全生するべきだ しかし

人が生きるのではない

人を通して自然が生きるのだ

 

人が生きるのは 自然の要求である

人が生を全うするのは 人の本分を尽くすことである

人が生きようと努めることこそ 自然であり 人の道なのである

 

人は生を楽しまなければならない

死を避けなければならない ひたすら 養生し全生の道に精進しなければならない

これは人であるが故である しかし

死が来たならばこれを恐れてはならない

死を受け入れて正しく死ぬべきである

 

人の生きる目的は自己にあるのではなく 自然にあるのである

だから人の使命というものは 生きることにあるのだ

生があれば死がある 死がやってくるのはすでに使命が終わったということだ

これを恐れることはない これを喜ぶべきである

生きているがゆえに死があり 死があるがゆえに生がある

いずれにしても 自然の要求なのだ

これに順応すべきである

 

人は正しく生き、正しく死ぬべきである

生を楽しみ 死を喜ぶ

これが人の自然の道である

覚悟せよ 生死は別のものではなく一つのものなのだ

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人が恐れるべきは自分自身であり 自分以外の何物であっても 恐るべき存在ではないのだ

これを理解し これを自覚すべきである

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人は生まれると生きようとする

生存 生殖 生活 これらは人の最大の芸術である

ここに自力がある 自力を知れ

これが他力を知り 神を悟る道である

人 みな瞑想しなさい

静かに坐して

「私はここに在る」と