野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 はじめに2 

身体を開墾する野口整体の源は東洋宗教―『病むことは力』終章からの取り組み

「日本の身体文化を取り戻す」という命題

  初出版『病むことは力』(春秋社)を、2004年6月、上梓することができました。取り掛かって一年九ヶ月後のことでしたが、師野口晴哉28周忌に合わせての刊行となりました。

 二作目の執筆が始まったのは、2006年のゴールデンウィーク明け(5月8日)のことでした。以来、現在に至るまでの間、とりわけ2008年4月より「科学とは何か(科学哲学)」に取り組んだことで、「身体観」と「生命観」の上で、私は次のような主題を捉えることができました。

 それは「近代科学と東洋宗教」という主題です。

 この主題を通じて、本書上巻『野口整体と科学 活元運動』、そして中巻『野口整体ユング心理学 心療整体』、下巻『野口整体と機械論的生命観 風邪の効用』として刊行する予定で、これらを「科学の知・禅の智」シリーズと名付けました。

 これらの書の動機は、『病むことは力』「終章 日本の身体文化を取り戻す」に始まっています。そこでは、「野口整体の源流は日本の身体文化」と少しばかり表現しましたが、本書ではこの内容について視野を広げ、「日本の身体文化」の源泉である「東洋宗教」とは何かを、「近代科学」を相対化することを通じて著すことになりました。

 相対化とは「一面的なものの見方を、それが唯一絶対ではないという風に見なす、また提示すること」です。

 私がこの道に入った1967年という時は、敗戦後から続く科学万能主義(科学教)という時代で、科学的な西洋近代医学が絶対視され、野口整体を良く理解する人は少なかったのです。

 日本の身体文化とは、一つには、日本で独自に発達した「道(どう)」を体現するための「身体性」を育てることを意味しています。それは、東洋宗教(神道、儒・仏・道教)に共通する「身体行=修行」を基とした、修養・養生としての(健康を保つための)身体文化でもあったのです。

 私は整体指導を通じて、この「道」の隠れた側面を再発見しました。全ての伝統的な日本文化は、このような「身体性」を基盤として存在していたというのが、この道45年余を通じて得た私の結論です。「身体性」の文化に通底する鍵は『肚』でした。

 野口整体は、このような身体文化の伝統を受け継ぐものです。

  野口整体が創立された昭和初期という時代背景には、明治以来の、政府による西洋近代医学の急激な普及がありました。この時代は、洋の東西において近代の代替知(科学に代わる知)が模索された時代でもありました。

 この時代背景を溯って考えますと、その前には明治維新(1868年)、さらに大きく広げて歴史を俯瞰すると、維新の原因は西洋近代の科学文明に、そしてルネサンス、遥か古代ギリシア文明にまで遡ることができます。

 私は「近代科学と東洋宗教」という言葉に「西洋と東洋の世界観の相違」を象徴させているのです。

 本書は、21世紀の現代社会における「野口整体の立処(たちど)を明確にする」ため、その源にある東洋宗教文化と、明治以来の西洋・近代科学文明を、思想史的に(哲学的・歴史的観点から)考察することで著そうとしたものです。