野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 はじめに3

 今回は、はじめに の後半部です。冒頭に「こうも頭で生きる人が多くなってしまった」という野口晴哉先生の言葉が引用されています。

 しかし、「頭で生きていない」というのはどういうことなのか?と問われても、分からない人が多いのが現代ではないでしょうか。

 野口先生の最晩年に発刊された月刊全生を開くと、「健康に生きる心」と題して、潜在意識教育法講座の内容が二年程続いています。

「頭と体」を対として思う人が多いかもしれませんが、おそらく野口先生の中では、「頭と心」ではなかったかと思うのです。その心とは潜在意識であり、体から発する心です。それでは今回の内容に入ります。

 

科学の知・禅の智― なぜ科学の問題を取り上げたのか

 「こうも頭で生きる人が多くなってしまった」(第一部第三章一 1より)

 これは、明治末に生まれ、大正時代に育ち、昭和を生きた師野口晴哉最晩年の言葉です。師は1976年に没しましたが、敗戦後の高度経済成長時代(1954年12月から1973年11月までの約19年間)が終わる頃から1970年代にかけて、度々講義でこの言葉を語っていました。

 これは、師野口晴哉が生きた時代を通じての「日本人の心の変化」であり、明治維新以来、150年の「日本人の体の変化」なのです。

 この背景には西洋文明「近代科学」がありました。

 ここ数年、私は戦前生まれの五氏(井深大・湯浅泰雄・石川光男・河合隼雄立川昭二)等の思想を通じて、科学哲学と東洋の生命観を学びました。

 これらの思想を通じて、私は野口整体とアカデミズムの世界とのつながりを見出し、近代科学の「心身二元論(心身分離)」と東洋宗教の「身心一元論(心身一如)」という、本書の核心となる思想を掴むことができました。

 本書は、このつながりのなかで、野口整体という智の歴史的な意味と、「現代における野口整体の社会的立脚点(立処(たちど))」について、私ができる限り考えようとしたものです。

 こうして科学の哲学性を研究したことは、禅や老荘を思想基盤とする野口整体の世界を科学に相対化して見極めることになり、野口整体の本質を改めて捉えることができました。

 本シリーズで言う「科学の知・禅の智」(=近代科学と東洋宗教)とは、「理性」と「身体性」(頭脳知と身体智)という相違なのです。

 そして、歴史的観点から現代での野口整体の存在意義を捉え、社会的立脚点を定めることができたのです。

 こうして私は、師野口晴哉が創立期から変わらずに目指した志を現代に実現するため、「科学の知・禅の智」シリーズとして著すに至りました。

 本書序章一では、このような思想に至った経緯を説明し、二では、井深大氏(ソニー創業者)の思想を表しました(序章は第一部理解のため必読)。

 第一部第一章~第三章に井深氏に続く二氏(石川光男・湯浅泰雄)の思想について表しました。

 序章の後は、第一部教養編(理論・思想)、第二部修養編(実践・行法)という構成となっています。

 第一部は、師野口晴哉が近代化の(近代科学と向き合う)中で産み出した「整体」という思想内容を深めたもの、第二部は活元運動の思想と体験談となっています。第三部は「後科学の禅・野口整体」と題し、禅や鈴木大拙氏に触れています。

「自分の健康は自分で保つ」ための活元運動を行じつつ、長い期間を通じて、行法の思想背景である第一部の内容理解を進めて頂ければと思います(先に活元運動について知りたい方は、第二部から読んで下さい)。