野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 序章一1

本書へのアプローチ― どのようにしてこのような思想に至ったか

 

一 なぜ、科学をこれほど持ち出したのか― 本書がどのようにしてできたか

 

初出版以後の私の軌跡― 野口整体の社会的立脚点を考察する

 『病むことは力』初出版(2004年6月22日)直後からは、筆力の余勢を得て、個人指導や活元指導の会に通う人たちに伝えたい内容(初出版執筆を通じて必要と考えたこと)を、一年半の間、情熱のままに書き続けました。

 これは、もとより『病むことは力』の内容だけでは、「野口整体金井流」を半分も伝えることができないという思いが、強くあったからです(当会の会報Ⅰ~Ⅳは、この時の文章が基となっている)。

 これが終わる頃、『月刊MOKU』(moku出版)よりの取材(2005年12月30日)で掲載されたのが『「心を考える」は流行でしかない』という記事です。

『病むことは力』の「終章 日本の身体文化を取り戻す」では、「野口整体の源流は日本の身体文化」と記しましたが、この言葉の中には「野口整体を生きてきた私、日本の伝統文化、そして、これと断絶した現代日本人」、この三つが一体となっている「私の想い」が込められています。

 この終章が一つの形を取ったのがこの記事でした。ここでは、「考える」ことばかりになって、「感じる」ことが忘れられたことで、「心が分からなくなった現代人」について述べています。

『病むことは力』を取り上げてくださった、moku出版の中嶋隆さん(当時の取材記者)に改めてお礼を申し上げたいと思います。そして、これは中央公論社の元編集者であった写真家、清野賀子さん(故人)の協力によるものでした。

 お二人の力添えにより、この、当時の傑作ができたのです。

 今回(2008年4月以来)の著作活動、「科学の知・禅の智」シリーズ・『近代科学と東洋宗教』上・中・下巻の内容は、この記事(巻末に収録)にすでにそのもとがあったと、感慨を深くするものです。

  そして、初出版を縁に、『秘伝』(武術誌)『月刊MOKU』、『大法輪』(仏教誌)『月刊手技療法』(手技療術誌)などの専門誌から取材を受けた私は、医療・教育・宗教(生き方)を包括する野口整体の「継承者」という立場から、初めて「野口整体現代社会との関係性」を考えるようになり、これらの取材を通じ、「野口整体の社会的立脚点」について、次第に考察を深めて行くことになりました。

 また、本書の内容に至る要因として、さまざまな対外活動があったことが挙げられます。

 当会の2005年秋からの「整体指導法講習会」に新しい人達が集うようになったこと、その後の「朝日カルチャーセンター横浜(2006年5月)」での講座や、慶應義塾大学(湘南藤沢キャンパス・2006年7月)での講義などを経験したことは、私が現代社会と取り組む契機となりました。

 さらに2007年1月から『月刊MOKU』に15回に亘る連載を頂いたことは、現代を生きる人々と野口整体とのつながりを熟慮するステップとすることができました。ご縁を頂いた副編集長、良本和恵さんにここで改めてお礼を申し上げたいと思います。