野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 序章一4

前回、金井先生が「浦島太郎的体験」と言っていることについて少し補足したいと思います。

 野口整体で身心ともに健康、または能力が十全に発揮できると観る時の目安というのが「身心の中心が丹田にある」という状態です。

しかし、現代社会で「優秀」と評価されている人たちの中に、そういう人はごく少数で、そうでなくとも異常感がないというのが、当時、先生が目の当たりにした現実でした。

 しかし、少なくとも先生が入門した時代(1960年代)位までは、野口整体においてのみ通用する人間観(基準)ではなく、もっと広く、一般的にそういう価値観が共有されていたのです。

 では、今回の内容に入ります。

「現代」に野口整体を伝えるために「科学とは何か」を学ぶ

 「坐」を中心とした「日本の身体文化」が、これほどに衰退している現代日本の実情に対して、私の世界と社会との隔たりを、改めて強く認識することになりました。

 それまで二年近く、本書の内容について苦心を重ねた私は、追い詰められた感もありましたが、〔身体〕というテーマにも支えられ、新たな勉強に取り組む意欲を持つことができたのです。

ここで中心テーマとなったのが「科学」です。

 現代という社会の様相と「身体性」の衰退の遠因は、明治以来の近代化(西洋文明・近代科学導入)に因るものです。そして現代は、敗戦後の、伝統文化の喪失と高度工業化社会を目指した「科学的教育」に拠って成り立っているのです。

 戦後日本社会の科学的発展に伴い、「近代化」がより進んだ日本人は、重心が「頭・肩」に上がっています。これが、身体上における西洋化なのです。「正坐ができない」のは、生活の西洋化に伴い、子どもの時からし馴れていないことと共に、「上虚下実」の身体ではなくなっているからです。

 それは、科学は理性(意識)の発達に依り、伝統文化は身体性(肚)の鍛錬に依るものだったからです。

 それで、入門した1967年4月から、2008年2月に大手電子機器メーカーで優秀な人々の現代性を目の当たりにするまで四十年余、野口整体と自分自身の世界に、どっぷりと浸かっていた私は、先の「浦島太郎」という思いを体験することになったのです。

 こうして、これらの講義、講演直後の2008年4月初めから、現代を理解するため「科学とは何か」に取り組んでいくことになりました。