野口整体と科学 序章一5
金井先生は、野口整体を教える上で共有できる基盤がないとしたら、どうすればよいのかを考えるようになりました。本当に、身体的、感覚的基盤というのは、野口整体を学び、身に付けていく上で「言語」のようなものなのです。
それでは今回の内容に入ります。
石川光男氏の著作との出会いー近代科学とは何か
このような体験の直後から、石川光男氏(生物物理学者)の著作を通じ、「科学とは何か」、それは「近代科学(註)の哲学性」を学ぶことによって、西洋と東洋の「世界観」の相違を知ることになりました。
そうして、「科学とは、西欧的な合理主義というイデオロギー(思想・意識の体系)の一つである」という理解を徐々に深めて行ったのです。
(註)近代科学 自然科学・人文科学・社会科学の総称としてしばしば用いられる。
「上虚下実」の身体ではなくなっている現代人は、身体性の衰退、つまり「型」(道・「腰・肚」文化)の喪失と引き換えに、頭、すなわち「理性という意識(=科学的思考)」が発達しています(註)。ここに訴えるには「論理」、つまり合理的説明が必要なのです。
(註)野口晴哉「こうも頭で生きる人が多くなってしまった」(はじめ
に 3)の意。
こうして、「腰・肚」文化が共有されていた時代に生れた野口整体を現代に伝えるには、今や、「身体性」にだけ言及するのではなく、現代という時代の成り立ちを考慮し、野口整体を、一貫性を持った思想として体系的に著す(=科学的に表現する)ことが先ず必要である、と痛感したのです。
掘り下げてきた「自身の世界」を、湯浅泰雄氏や石川光男氏の著作などで学ぶことを通じて、いかに論理性、そして普遍性を以って(=科学的に)伝えることができるか、ということに取り組むようになって行きました。
このように、私が現代的・科学的な方向に進むことは、初めて私としての「近代自我」を強化することになりました。
初出版以後の対外活動による種々の経験に導かれたことで、私はこのように勉強をすることができ、現在のような、文化的・歴史的・世界的な視野を持つことができるようになったのです。