野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 第一部第一章 野口整体と西洋医学―身心一如(一元論)と心身分離(二元論)二5③

5 ヴェサリウスの解剖学・ハーヴィの生理学が影響を与え、デカルトの機械論的生命観が確立

③ハーヴィの血液循環論と機械論的生命観

 4で、1543年、医師ヴェサリウスが解剖書『ファブリカ』を出版したことを述べましたが、その後の1628年、ハーヴィ(1578年生 イギリス)は血液循環論を解剖学と数量化(註)を用いて立証しました。

 これによって人体と生命に対する神秘的な見方は影を潜め、世俗の人間が人体を科学的探求の対象、すなわち機械・物質としての取扱いをするという態度が鮮明になったのです。

(註)ハーヴィは心臓の容量と全身血液量を計り、一回の拍動でどのくらいの血液が押し出されるかを調べ、時間の推移によってどのぐらいの総量になるかを計算し、三十分後には全身の血液量を上回ると述べた。

 彼は心臓によって送り出される大量の血液が、肝臓内で常に作られ得るものではないと見抜き、血液は循環しており、一方向に流れているはずであると考えた。これを「大静脈を結紮(けっさつ)すれば、心臓には血液がなくなる。大動脈を結紮すれば、血液は心臓に停滞する」という実験によって明らかにした。

 村上陽一郎氏は、実験的な方法の重要性と、理論構築の重大さの認識をもたらしたハーヴィの論説(近代科学の方法論では、まず仮説(理論)を立て、実験をして仮説をたしかめ、その繰り返しで知識を増やしていく)について次のように述べています(『新版 西欧近代科学』第三章 生理学における革命)。 

新しい方法論

この書(ハーヴィの著作)では、単に、血液が循環する、という主張だけではなく、これまでの解釈の欠陥、その主張に達するに到った直接的根拠、その主張を裏づける傍証(証明を補強するのに役立つ証拠)が、整然と整理されており、しかもそうした論理の組み立て方と、根拠となる観察事実との関係も、方法論的にはっきりと把握されている、という事実である。

…この著作は、近代科学が生んだ、最初の、完全にその枠組みの内部で書かれた、模範型(パラダイム)であると言えるであろう。

新理論の意味

天文学におけるコペルニクスケプラーのごとき華やかな雰囲気はないけれども、彼らより以上に革命的で、革新的な性格をもっていたのである。それには、単に、生理学における新説の展開という視点をはるかに超えた重大な意味があった。

…ハーヴィの業績は、文字通り、一つの時代を画すことになり、近代科学が、人間をはじめとする生命体をいかに取り扱うかについてのヒナ型を提供するとともに、その裏では、哲学的な人間観・生命観に関しても、新しい地平を切り拓いたのである。爾来、ここでその礎石を置かれ、のちの歴史のなかで洗練され発展させられていくこうした人間観・生命観は、それを否定的に扱うにせよ肯定的に扱うにせよ、ヨーロッパの思想の枠組みとして、完全に凝結した準拠枠(対象を認識する際に使われる判断の枠組)を形成したのであった。

   その後、近代科学のパラダイムを確立したのが、十七世紀の哲学者デカルト(1596年生 フランス)です(第三章三で詳述)。

 彼は次のように考えました。

「世界は時計仕掛けのようであり、部品を一つ一つ個別に研究した上で、最後に全体を大きな構図で見れば、機械が理解できるように、世界も理解できるだろう。」

彼は、動物も一種の自動機械として説明できるだろうと考えていたのです。これが、万物を機械として捉える「機械論」というものです。

 このように生命機械論を構想していたデカルトは、「血液は生体特有の力“精気”による自発的な運動で体内を流れる」と考えたガレノスを斥けたハーヴィの「血液循環論(心臓を血流用のポンプとみなす)」に感銘を受け、自著『方法序説』で紹介しました。

 ヴェサリウスの人体解剖学やハーヴィの血液循環論が、デカルトの近代科学成立に影響を与え「機械論的生命観」が確立したのです。

(=血液循環論は結果的に生気論およびスコラ哲学を否定した)

 こうして、近代解剖学の祖ヴェサリウスは構造を、近代生理学の祖ハーヴィは機能を、という機械論的医学における両輪によって、西洋近代医学の準拠枠が完成しました。

(註)キリスト教的身体観と心臓

 中世後半のキリスト教的な身体観では、霊魂は心臓に宿る(聖心信仰)とされており、機械論的な心臓の観方は宗教的にもインパクトのあるものだった。