2 科学的に発展した現代医療と東洋宗教を基とする野口整体
「西洋医学は人間の体を物として研究した」という師野口晴哉の言葉が、私の潜在意識に入っていました。
私が特に問題と思うことは、日本の大学での医学教育においては、哲学の時間がないことです。これ自体、世界中の医学教育において珍しいことのようです。
(日本の近代医学では、とりわけ「心身分離(心身二元論)」の傾向が強く、医学教育に宗教や精神の問題を入れるのはタブーとなってきたようです)
また、戦後社会のありようが大きく変化するにつれ、日本の伝統的な倫理観はすっかり薄らいでしまいました。
医療で行う手術や投薬において、家族には「こんなことはさせられない」と、心ある医師は感じているという一面があります。已む無く、こうするしかないということですが、こういう医療は、乱暴な例え方をすると、自分の家族には食べさせられないものを、客に提供している食堂のようなものです。これは西洋医学が、より科学的に進んで、行きついた先のことです。
「心ある医師」とは、患者に対してのみならず、医師自らが、医術と人間としての生き方に「信念」が持てることです。しかし現在、このような医師たちは、医学界において「非常識な人たち」なのです(『非常識の医学書』参照)。
それは、科学的方法というものには、その中に「自分が入っていない」からです。これについては後に詳述(第一部第三章 三)しますが、自分が、自分にとって良い方法とするものを他者に提供するというのが、本書で言う宗教的(=信念に基づく)方法なのです。
これは、自身の生き方を基にすることであり、野口整体の指導者は宗教的であるべきというのが私の信念です。
師野口晴哉が活動した時代(1926~1976年)、医療界には「医は仁術(註)」という言葉がありました(現代では死語となりつつある)。「仁」とは中国思想・儒教(孔子・孟子)が説く徳目(仁・義・礼・智・信)の一つで最高位のものです。
(註)医は仁術
「医は、人命を救う博愛の道である」ことを意味する格言。特に江戸時代に盛んに用いられたが、その思想的基盤は平安時代まで遡ることができる。また西洋近代医学を取り入れた後も、長く日本の医療倫理の中心的標語として用いられてきた。
仁は、慈しみ・思いやりの心、仏教における「慈悲(註)」と同じもののようです。
(註)慈悲
慈は「慈しみ」、相手の幸福を望む心。 悲は「憐れみ」、苦しみを除いてあげたいと思う心。
つまり、かつては科学である西洋医学の技術を東洋宗教である道徳(註)が支えていたのです。医療界における「和魂洋才(日本古来の精神を大切にしつつ、西洋の技術を受け入れ、両者を調和させ発展させること)」であったと思います。
(註)道徳
人々が善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理としてはたらく。
医療という臨床の場においては、理性のみならず感性、そして徳性のはたらきがより大切ではないでしょうか。