野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 第一部第二章 野口整体の生命観と科学の生命観一2

2 東洋の連続的自然観と身心一元論― 自然観と心身観の相違より生じた文化の違い

  ギリシア文化(ヘレニズム)の論理的思考と「神の代りに自然を統御する(人間は自然の主人)」というヘブライズムの融合(=キリスト教)を土台とした西洋思想では、人間は自然の外へ出てしまっていて、そこから自然を客観として見ています。

 このような西洋思想を基に成立した近代科学(の考え方)は、客観主義の観点に立ち、物理学的な観察から得たモデルを基本にして、その延長上に生命現象や人間を研究するもの(生物学・近代医学など)です(近代科学は物理学が基盤)。

 一方、多種多様な生態系を持つ自然を背景に生まれた東洋的自然観は連続的であり、東洋宗教である儒教・仏教・道教は「人と人、人と自然とのつながり」を教えていると石川光男氏は説いています。

 東洋的な考え方は、人間は本来、自然のはたらきとの調和と共鳴のなかで生きているというもので、自然の中に溶け込むことを良しとしたのです(これが「近代科学と東洋宗教」)。

 気候風土や地理による人と自然の関係(自然観)が、心と体の関係にも反映し、西洋では、人間が自然を支配する非連続的自然観から、頭(理性)が体(自然)を支配するという「心身二元論」が生まれました。

 そして東洋では、連続的自然観から「身心一元論」が生まれたのです。身体における二元論の中心は頭(理性)で、一元論の中心は腹(肚・丹田)なのです。このような東西の「心身観」の相違は、文化の相違となって随所に表れてくるのです。

 日本人と西洋人の身体的な違いによる文化的相違とは、例えば「鋸(のこぎり)」。日本の鋸は引いて切れるように出来ていますが、西洋の鋸は押して切れるように出来ています。日本の鉋(かんな)と西洋の鉋の違いも、引いて削るか押して削るかにあり、包丁も同様です。

 引いて力が出るのは、腰が中心の体であり、押して力が出るのは肩が中心となっている体で、日本人は引くことで力が出、西洋人は押すことで力が出るのです。

 この体の違いが相撲とボクシングを生み出しているのです。

 こうして、日本と西洋の「身体文化」を比較してみると、日本の伝統的な「腰・肚」文化に対して、西洋は「頭・肩」文化と名付けられるほどの相違があります。

  私は、日本人と西洋人の身体的な違いと文化的相違の関係について、これまでも「野口整体の視点」から折に触れ述べてきましたが、この度、石川学の学びを通じて、世界共通の普遍的真理とされる科学(科学的なものの見方)が、西洋の自然観・宗教観を背景に持つと知ったことは、大きな学びでした。石川氏のこの「欧・亜の思想的枠組みの対比」が、本書の副題「近代科学と東洋宗教」です。