野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 第一部第二章 野口整体の生命観と科学の生命観 一1

第二章 野口整体の生命観と科学の生命観

― 東西の自然観の相違より生じた生命観の違い(自然治癒力の有無)

 今回から第二章に入ります。「東西」とは、東洋と西洋ということですが、自然観・生命観という文化的な背景が、普遍的・客観的とされている近代科学の観方にも反映されているという内容です。

 以前、梅原猛氏による西の文明を「小麦とチーズの文明」、東の文明を「米と魚の文明」と言う喩え話を紹介しましたが、生活の糧を得る手段も、自然とのかかわり方も異なっているのが西と東の文明です。

 もちろん世界には南北アメリカ大陸、アフリカ大陸、海洋諸島などがありますが、ここでは西洋の自然観と生命観の特異性と近代科学の関係を明確にするため、東洋と対比させる形で話を進めていきます。では今回の内容に入ります。

 一 近代科学の非連続的自然観と野口整体の連続的自然観― 西洋の生命観を東洋の生命観によって相対化する

 1 近代科学の元にある、人間と自然を分離する思想・非連続的自然観

 本章では、第一章で述べた、西洋医学野口整体の「生命観の相違」が「どのように生じたか」について、それぞれの基となる近代科学と東洋宗教が成立した背景(自然観の違い)から考えていきます。

 石川光男氏は、西洋と東洋という大きな文化区分が生まれた背景には「気候風土の違い」があることを挙げ、そこに住む人々の自然観(価値判断の根底にある自然への価値観)から、宗教や「世界観」(世界についての統一的見方、考え方)が生まれてきたと説いています。

 そして、西洋では、神 ― 人間 ― 自然の間には境界があり、これを「非連続的自然観」と言い、東洋では、神 ― 人間 ― 自然の間には境界はなく、これを「連続的自然観」と言う、と述べています。東洋と違い西洋では、自然は、人間にとって「対立した存在」なのです。

 氏は、西洋の「非連続的自然観」と近代科学との関係について、次のように述べています(『西と東の生命観』)。

非連続的自然観

 近代科学は、人間と自然の分離を前提として出発している。人間と自然を切り離し、観る人間と、観られる自然、すなわち、主観と客観(主体と客体)の明確な分離によって、人間の前に対象として立てられた自然世界のしくみを明らかにしようという思想が近代科学の土台となっている。

 人間と自然を分離する思想は、同時に、人間と他の生物を分離する思想にもつながっている。自然の中で人間を特異な存在として分離する思想は、人間が自然の中の主人公として、自然を改造し、支配するという考え方を生み出す下地の役割もはたしている。

 このような非連続的自然観の原型は、ヘブライズム(註)やキリスト教の思想の中に見いだすことができる。通常、キリスト教は、科学と対立する概念として理解されている。しかし、ヨーロッパ文化のバックボーンとなっているキリスト教思想の培地(生育土壌)としてのヘブライユダヤ思想の中には、すでに近代科学と共通の自然観が流れていることを見逃してはならない。

 

  旧約聖書の創世記第一章に、「神その像の如くに人を造り給えり。」という記述があるが、これは人間だけが神に似た特別の存在であるという考え方を示している。創世記第一章には、さらに次のような記述がみられる。

「神彼らに言ひけるは、産めよ、殖えよ、地に充てよ、之を従はせよ。海の魚と天空の鳥と地に動くすべての生物を治めよ。」

  村上陽一郎氏は、著書『生命思想の系譜』の中で、創世記のこのような記述は、神が自らの身代りとして人間に自然を制御支配させるという、「自然統御型」の思想を反映していると指摘している。

 このように「自然統御」の思想は、自然界を支配する神の理性や意志を、人間が神から与えられた理性によって読みとり、神の代りに自然を統御するというキリスト教的な人間観と深い関係がある。

一方、近代科学という学問形態を生み出したのはギリシア文化であるといわれている。ギリシア人にとって、その哲学的な問題の中心となったのは、「ものとは何か」という問題と「変化とは何か」という問題であった。

 この二つの根本的な問題は、ものの空間的、時間的変化、すなわち「運動とは何か」という問題を自然現象の中から読みとる下地をつくることにあった。この問題がガリレオによってひきつがれ、実験によって、自然の中に内在する新しい法則性が見いだされることになる。

 言いかえれば、自然現象の起こり方を、神の意志としてではなく、論理的、体系的に説明しようとする「問いの立て方」が、近代科学にひきつがれている。

 近代自然科学は、このようにギリシア文化の論理的思考と、ヘブライズム ― キリスト教がもっていた自然と人間の分離思想の融合を土台として育ってきたということができよう。

 すなわち、近代自然科学を生み出してきた思想の基本的特徴は、近代科学が生まれた十七世紀以前のヨーロッパ文化の思想的枠組みを受け継いでいて、後に述べるように、アジアの思想的枠組みとは本質的に異なっている。

(註)ヘブライズム 

ヘブライ人(古代イスラエル民族)の思想・文化で、旧約聖書に見られる自然支配の思想を意味する。キリスト教イスラム教ともに旧約聖書聖典としている。

  このように石川氏は、古代ギリシア以来の「論理的思考(理性)」の発達と、パレスチナ地方の砂漠で生まれた宗教であるユダヤキリスト教の「非連続的自然観(分離思想)」が近代科学を発達させたことを指摘し、近代科学は「ヨーロッパ文化に固有の特質と密接に結びついて生まれた学問体系」であることを説いています。