野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 第一部第二章 野口整体の生命観と科学の生命観三4

 近年、これから変化していく時代を生きる力として、非認知能力の重要性が注目されています。

 読み・書き・計算などの数値化しやすい知的能力を認知的能力と言うのですが、「科学的教育」は認知的能力を高めるものです。

一方、非認知能力というのは、簡単に言うと、自ら主体的に物事に取り組む、自分の気持ちをコントロールする、他者とコミュニケーションが取れる、自分に自信を持つ、などの数値化しにくい心の力のことです。

 非認知的能力は認知的能力とは発達過程が異なり、乳児期~思春期の「大人とのかかわり(愛情と信頼)」と「あそび」によって発達することから、幼児教育の重要性も再認識されています。

 AIの発達がこのような変化を促しているのは皮肉なことですが、野口晴哉井深大が説いた「心の教育(潜在意識教育)」の意味が、受け入れられるようになってきたのだと思います。そして伝統的な「道」を基にした教育も、心を育てるためのものでした。

それでは今回の内容に入ります。 

4 野口整体を理解するための背景「道」

 日本は敗戦から立ち直るため工業立国を目指し、科学技術者の育成と科学的思考の普及を教育の主眼としてきました。

 科学というものは、「理性的認識」によって得られた知識の集積の上に成り立っています。それは近代になって西洋で確立した「合理主義(古代ギリシアに始まる)」という、ものの見方が基底となっているのです。

 そして「科学的(客観的)理性」を身につけることを目的とする学校教育によって、戦後世代は、理性による知的認識と判断、閉鎖系思考、非連続的自然観が、気づかぬうちに潜在意識に刷り込まれています。

 さらに科学教育(主に西洋医学)によって、自身の身体を「閉鎖系」であるモノとして捉えるという生命観(=客観的身体観)を無意識的に持っています。これは、「科学というもの」の性質を良く理解すると、現代の若者がこのようであることは無理からぬものがあります。

 伝統的、東洋的自然観、生命観を教育するもの、それは、敗戦以前までの日本で「道」と言われたもので、「身体」の行を通じて「心」を養うものでした。

氏は「道」について、次のように述べています(『複雑系思考でよみがえる日本文明』)。 

外界としての「自然」とあり方としての「じねん」

…西欧においては外的世界としての自然が重視され、客観的存在としての自然の仕組みを知ることに努力がそそがれ、それが近代科学として発達することになった。

中国や日本においては、外的世界としての天地の仕組みを知ることに関心が向けられず、天の心に従い、天地と一体となることに関心が向けられてきた。

いいかえれば、西欧においては、人間と分離された外的世界としての自然(非連続的世界観)が重視され、日本においては天地との関係性(連続的世界観)が重視されてきた。

また、西欧においては客観的対象としての自然の仕組みを知ることに関心がそそがれ、日本においては天の心に従う生活や、天地と一体となる体験的訓練(瞑想)が重視されてきた。

「天の心を知り、これに従う」という考え方は、孔子に始まる儒教老子荘子などの道家(どうか)の思想(註)とよく似ている。

…「天の道」や「天の心」は人間が生き方として学ぶべき大自然の真理であって、自然の仕組みを知るための法則ではない。儒教における政治的支配者は、天の道を知り、天の神の委託を受けて世を治めることを理想としている。天子、天帝という言葉はこのような思想に由来している。

道家の哲学においては、大自然を貫く根元的真理は「道(タオ)」と呼ばれる。「道(タオ)」は大自然ありさまを説明する真理であると同時に、生き方の理想となる真理をも意味する。生き方の真理としての「道(どう)」は、禅の思想とも結びついて、日本で独自の発達をした。「道(どう)」は自然と一体となるところに生き方の理想が求められ、そのような「おのずからなるあり方」が「じねん」と呼ばれた。

 (註)

儒教 孔子(前552年~前479年)の思想。人間の主体性による倫理観を打ち立て、人間の普遍的感情を道徳性の面においてとらえ、これを仁と呼び、仁を根本とする政治・道徳を説く。仁は人と人が親しむという意味で、他者への親愛の情である。

人間を外部的に規制するものとして礼を取り上げ、礼は仁を基とする規範であり、仁は礼を通して実現される。

道家 老子(前6世紀)、荘子(前369年~前286年)の思想(老荘思想)を奉じた学者。宇宙原理としての道(タオ)を求め、無為・自然を説いた。

 

「自然と一体となるところに生き方の理想が求められ」るという「道」が失われた現代では、石川氏が説く「東西の自然観の相違」という理解を持って、野口整体の思想と行法を、東洋宗教として理解する必要があるのです。