野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 第一部第三章 近代科学と東洋宗教の身心観の相違 三1

三 野口整体(身心一如)の心と科学(心身分離)の心の相違― 科学の理性的認識と現代人の心 

 今日から第三章三に入ります。 ここでは「科学的、とはどういうものの見方をすることなのか」を、心身関係の面から述べていく内容が主体となっています。

 私は、デカルトニュートンという人がどういう事を考えた人で、彼らが今の私たちにどんな影響を与えているのか…というのは、野口整体を学び、その過程でこうした内容を勉強するまで知りませんでした!今読んでも、つくづく「すごいことだなあ」と思います。

 でも金井先生は、カウンター・カルチャーの時代に入門しただけあって、若いころ、こうしたポストモダン的思想問題には触れていたそうで、後年の勉強は学びなおしだったのですね。それでは今回の内容に入ります。

 1 科学の礎となったデカルトの近代合理主義哲学―「心身二元論」と「機械論的世界観」の成立 

 15世紀から16世紀の西洋では、コペルニクス(1473年生ポーランド)やガリレイ(1564年生 イタリア)、ケプラー(1571年生 ドイツ)などの天文学者によって、基本的な物理法則が発見されるようになりました。このような天文学や物理学の諸発見は、科学的方法論の確立につながって行ったのです。

 当時の人々は「天体から地上の物質まで、自然界の全ての運動(註)が単純な物理法則に支配されている」という事実に驚き、「世界の全てが物理法則に従って動いている」という世界観が生まれました。これが「機械論的世界観」です。

(註)運動 古代ギリシアの哲学的問題の中心「運動(ものの、空間的

・時間的変化)とは何か」がガリレイに引き継がれ、近代科学の論理的・体系的な方法論として発展した(第二章 一 1参照)。

  しかし17世紀に入ると、神学的な世界観とこのような無神論的・物理学的な世界観が対立するようになっていました。

 この頃、神学者であり、物理学者でもあったデカルト(1596年生 フランス)は、その二つを両立させる哲学を思索したのです。

 彼は「人間は、霊魂である『精神』と、物質である『肉体』から成り立っている」と考えました。こうした生命観を、「心と体の二つから成る論理」という意味で「心身二元論」と言います。

 彼は、「心」は数量化することができないため、物理学の対象とは成り得ず、「機械論的世界観を心に適用することはできない」と考えました。そしてこの世界を、機械論が適用できない『精神』の世界と、機械論の適用できる『物質』からなる世界という、二つに分けたのです。

 心身二元論と機械論的世界観、これが「近代合理主義哲学(デカルト哲学)」です。

 こうして、デカルトは、精神は霊的な法則「キリスト教」によって、物質である肉体は機械的な法則「物理学」によって成り立っているとして、キリスト教神学と自然科学の物理法則とを区別し、宗教と科学の対決を調停したのです。

 ここに、精神の領域である「宗教の世界」と、物質を扱う「科学の世界」の分離が始まったのです。その結果、科学が対象とするのは物質の世界のみに明確に限定され、心や心がからむ諸問題は科学の埒外(範囲の外)に置かれることとなりました。

従って、科学には「目に見えないもの・心や生き方」は含まれていないのです。

 科学的に扱えない問題をはっきりさせたことによって、デカルトは科学の基礎を固め、人間の精神を除く全ての現象(自然、生物、人体)が科学の対象となりました。

 こうして、デカルトは「人間の肉体は、自然科学的法則によって時計仕掛けの機械のように動くものである」という人間観の基礎となる哲学(機械論的身体観)を築きました。彼の有名な「動物機械論(註)」は、その見解を端的に表明している学説です。

(註)動物機械論

 人間も含め動物の身体はゼンマイ仕掛けのような機械にすぎず、例えて言えば肺は空気を出し入れするふいごのようなものであり、心臓は血液を押し出すポンプであり、また腎臓は血液を浄化する浄化装置であるという考え方。ハーヴィの影響が見られる。

 デカルトが、精神と肉体を完全に分離したことは、後の近代的な考え方に大きな影響を与え、現代人はこのデカルトと同じく思考します。「癌細胞は外科手術によって取り除く」という生理学的処理をするのもこの表れです。

心身二元論と機械論的身体観が、人間の身体にメスを入れることを可能にし、近代医学を発達させた)

 デカルトの「心身二元論」的人間観は、今日ではさらに徹底した形で推し進められています(医学的な例・臓器移植)。

 湯浅泰雄氏は近代科学の方法論・物心二元論について、次のように述べています(『ユング心理学と現代の危機』現代人のたましいを問うユング心理学 河出書房新社)。 

東洋伝統医学の復興

…現代人は、医療という場面を通じて、人間の心とたましいの問題について、真剣な道徳的反省を求められているのである。

理論的観点から見ると、近代科学は物質と心を分離(第一章 三 3参照)して、両者は無関係であるとするデカルト的二分法dichotomyに立っている。科学者は従来、心は物理学とは関係がない(物心二元論)ときめてきた。このことは医学も同様で、近代医学は、従来心の問題は無視して身体の物質的側面のみをあつかってきた。そこから生まれたマイナス面の反省を含めて、医療の現場から新しい理論的考察を必要とする状況がつくり出されてきたのである。ここには、医学のみならず近代科学の方法論全体に関わる重大な問題が見出されるだろう。

 日本では明治以来、そして、特に敗戦後の科学万能主義の時代を経て、日本人の心に、科学的世界観(客観的身体観)が蔓延するようになりました。

 こうして、現代日本人の意識は、この西洋的な思考の影響を大きく受けたものとなっています。このような意識の変化は、東洋宗教の一元論(身心一如)から近代科学の二元論(心身分離)へとシフトした、という大変革なのです。