野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 第一部第三章 近代科学と東洋宗教の身心観の相違 三3②

3 現代人の「心の世界の狭さ」を生み出したデカルトの理性至上主義

心身二元論における「私」=思考する精神(理性)

②現代人の心の世界を狭くした「理性」

そしてデカルトは、理性によって、自分の「心」を捉えることができると考えました。以後、「心」というものは基本的に理性による「内省(自分の心の中を観察すること)」によって哲学的に研究するものだという態度が、近代を通して定着します。 

「自分の心は理性によって把握できる」という近代からの哲学は、「理性によって解る範囲のみが自分の心である」という現代人の「心の世界の狭さ(=意識に偏る)」を生み出す元となりました。

 現代人の心の狭さとは、意識の世界のみ(=理性で分かる範囲)となって、感情や無意識の世界が分からなくなっていることです。

  本章冒頭の、師野口晴哉の言葉「こうも頭で生きる人が多くなってしまった」は、このことを意味します。

  こうして、「感覚・感情」は「理性である私」と離れ、本章一の2、3で述べたような「体と自分がつながらない」という現代人を生むこととなったのです。

 (これ故に、西洋では深層心理学が起き、野口整体においては、背骨の観察によって「感情」を捉えることに、現代的意義と必要性がある)

  石川光男氏は、科学的なものの見方の特徴である理性至上主義が、現代の私たちに深く根を下ろしていることについて、次のように述べています(『共創思考』)。 

◆理性優先の〝一方向性志向〟

 人間の心の〈はたらき〉には、「知・情・意」などの多様な側面がありますから、理性による知的認識を優先させる人間形成は、心の機能のなかで、理性という個別価値だけを優先させる〝一方向性志向〟を意味していることになります。 

理性の発達によって人間は知的にかしこくはなりますが、人間性が豊かになるとはかぎりません。先進工業国における犯罪の増加がその一例です。日本では高級車を乗りまわしている人が空きカンを平気でどこへでも捨て、家庭内暴力も珍しくはありません。これが「高等教育」の普及した日本の一面です。

  理性を重視して知的教育を行っても、自己中心性や物質的豊かさへの無限の欲求は抑制できません。理性だけが発達した人間は、一定の目的を達成するために合理的な判断を下すことはできますが、自分自身の行動の意味を総合的(ホリスティック)な視点から判断するという点では弱点をもっています。

 経済至上主義にどっぷりつかって仕事をする社会人や、せまい研究分野の枠の中から一歩も出られない専門家の姿がそれを象徴しています。理性至上主義は人間の精神の無機質化をもたらし、一定の目的を遂行するロボットにも似た人間を育てやすいようです。

  現代という高度科学的社会に適応するための理性の発達は、人間の意識を、現在意識(表層意識)と潜在意識(深層意識)に分離しました。潜在意識とは、「知・情・意」における「情・意」であり、また、「感性・徳性」にも当たります。