野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 第一部 第四章 科学の知・禅の智 二 5

5 気の思想「道」と「腰・肚」文化―「道」に適った生き方を実現する骨盤部のはたらき

  東洋の伝統では、身心の問題に取り組むには、まず自分自身から出発し実践的な取り組みをしていきます。宗教的な修行とか身心の訓練で、野口整体の行法もこれに基づいています。

「気」の思想については、まず自分が感じる、気を調える(=調身・調息・調心)、ということが出発点になっているのです(気を調えることで気を活用することができ、気は行なってみて初めて理解できる)。

「道」のはたらき・気が宿る容器が身体なのですから、それで、器である人間が向上するため、「腰・肚」を鍛えることが様々な修行法に通底するものとなったのです(意識の明瞭さ(雑念が無い=無心・天心)をもたらす「腰が据わる」とは、骨盤が器としての役割をすること)。

 気を活用するとは、内が整えば、自ずと気が入ってくるという、外界との「一体性」が、内界のあり方によってもたらされる(内気)という考え方です。

 背骨が気の通る主要な処であり、多様なものを包含する処が「肚」なのです。そして、このようなはたらきの土台を成すものが、腰骨・骨盤であり、その中でも重要なのが「仙骨」です。

 仙骨は、英語で「sacrum(セイクラム)=sacred(神聖な・宗教的な) bone」と呼ばれ、古代エジプトギリシア・ローマ時代において、「神聖な骨」とみなされていました(また、sacrumには「聖所、神殿」の意味がある)。

 仙骨の日本語解剖名は、『解体新書』(江戸時代に翻訳された西洋の解剖学書)を改訂した大槻玄沢(1757年生 江戸時代の蘭学者)が、『重訂解体新書』でsacrumを護神骨と訳し、明治時代に薦骨となって、戦後に仙骨に替えられたという経緯によるものです。

(註)

 神へのお供えをのせる「むしろ」やご神体を、植物の真薦(まこも)で作ったことから、「薦」の字が神聖を意味することとなった。

  日本では解剖学の伝統がなく、仙骨(護神骨)という概念的・部分的認識は一八二六年刊行の『重訂解体新書』に始まり、由来は西洋ですが、仙骨を中心とする骨盤部を身体感覚で捉えた、「腰」として古来重要視してきたのです(日本語の腰とは、英語のhip)。

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腰椎と骨盤部。真ん中の黄色で囲った部分が仙骨

 このように仙骨は洋の東西を問わず、古くから不思議な力を持つ骨(格別な存在)として認識されてきました(科学的な近代医学ではこのような捉え方はない)。

  相撲や剣道において用いられる基本の型「蹲踞(そんきょ)」があります。これは「扇(おうぎ)腰(ごし)」と呼ばれる、骨盤部(仙腸関節)の可動性が良い腰を育てるための型で、伝統的な「腰・肚」文化の典型というべきものです。

 蹲踞は、自身が全力を発揮できるために、「無心」の身体となる用意なのです。ことに相撲では、「腰を割る」ことによって腰が据わり、腰が強くなるのです。腰を割るというのは、「心(無意識)を開く」というもので、精神的能力も身体的能力も、こうして発揮されるのです。

 武術と無縁な一般人においても、着物と坐の生活において、骨盤部(仙骨)を鍛えていました(テレビのドラマや時代劇で見る和室での所作・跪坐(きざ)は、直接仙骨に働きかけるもの)。

  整体指導の立場からは、この骨盤部の状態はとても意味のあるもので、骨盤部の可動性が悪い(硬い)と、副交感神経のはたらきに影響し、体全体の弛みが悪いのです。こういう人は、事に臨み過度に緊張するため、消極的になり易いのです(副交感神経である骨盤神経叢のはたらきが悪い)。

「ケツの穴が小さい」という言葉がありますが、穴はともかく、心が落ち着いているために、ケツつまり骨盤部の可動性が良く、腰がどっしりしているという人間としての「器」のあり方について、私は整体指導を通じて念(おも)いを深めるようになりました。

 各種「道」において目標とされる肚は、腰があれば(腰ができていれば)こそなのです。肚の人間とは、腰が据わった人間であり、それは、骨盤部(その中心は仙骨)のはたらきが良いことです。

 第二章 二で「開放系・気」について書きましたが、何かに囚われた状態「閉鎖系」とは、骨盤の状態にあるのです。そして、禅修行はとらわれ(雑念)から離れるためのもので、それは「無心」の身体を養うことです。ここにも坐蒲を使っての立腰(仙骨を立てる)が型となっているのです。

 日本人が「道」という思想に適った生き方を、実践するために発達してきた行法が「腰・肚」文化(註)なのです。

(註)「腰・肚」文化 腰肚文化とは斎藤孝氏が『身体感覚を取り戻す』(NHK出版 )で、日本の伝統的な身体文化に命名したもので、腰・脚・足を鍛えることで、「肚・丹田」を身心の中心と成すことが身体文化の伝統であった。正坐を基本とし、先に紹介した跪坐や蹲踞、また四股踏みや股割を通じて、丹田に中心感覚を得る目的は「自然体」を形成することにある。第六章二 3で紹介するデュルクハイムは、日本の伝統文化を悉く学び、ここに通底する鍵は「肚」であることを突き止めた。