野口整体と科学 第一部 第四章 科学の知・禅の智 二6①
6「人間と自然の関係」における西と東の相違①
①野口晴哉の背景にある東洋宗教の世界観
「気」の思想は、心と体を一体としてとらえた〔身体〕を一つの小宇宙と考え、外界としての自然・大宇宙との対応関係を考えるものです。
(気の状態(内界)が外界に反映するというのが共時性( ←→ 因果性・非因果的連関の原理)の考え方。「道」を生きることによって、積極的に共時的出来事がおこる)
このような東洋宗教の世界観(小宇宙と大宇宙の対応)を背景に、師野口晴哉が確立した世界観の一例を紹介します。これは、師が若き時、日暮里道場に掲げていた「全生の詞」というものです(『風声明語2』)。
我あり、我は宇宙の中心なり。我にいのち宿る。
いのちは無始より来りて無終に至る。
我を通じて無限に拡がり、我を貫いて無窮に繋がる。
いのちは絶対無限なれば、我も亦絶対無限なり。
我動けば宇宙動き、宇宙動けば我亦動く。
我と宇宙は渾一不二。一体にして一心なり。
円融無礙にして已でに生死を離る。況んや老病をや。
我今、いのちを得て悠久無限の心境に安住す。
行住坐臥、狂うことなく冒さるることなし。
この心、金剛不壊にして永遠に破るることなし。
ウーム、大丈夫。
(註)
渾一不二(こんいつふじ) とけ合って一つになる。
円融無碍(えんゆうむげ) 完全にとけあって一切の障害がない。
行住坐臥(ぎょうじゅうざが)日常の立ち居振る舞い。
金剛不壊(こんごうふえ) きわめて堅固でこわれない。
「道」と「器(としての身体)」という自然観に基づく東洋宗教の身体行(=修行)では、「無心」となることによって、身心が自然の運行(道のはたらき)の中に溶け込み、それと一体になって動いていることを、実践的体験に基づいて認識していくのです(東洋での自然は、人間の本性を実現するための舞台)。
第一・二章で多く取り上げた石川光男氏も、著書の随所で強調されていますが、西洋と東洋では、外界の自然への向き合い方が全く異なるという点に、思想の大きな相違をもたらした要因があるのです。