野口整体と科学 第一部第五章 東洋宗教(伝統)文化を再考して「禅文化としての野口整体」を理解する 一 1
一 活元運動 二元論と一元論― 自他対立と自他融合(近代科学と東洋宗教)
今回から、第五章一に入ります。このブログでは金井先生の前著『「気」の心身一元論』を基に、ヨーロッパで活元運動を指導した津田逸夫氏を紹介したことがありますが、第一部第五章はその発展形・完全版です。
なお、原稿では章名に「自分の健康は自分で保つ」ために必要な教養という副題がついていますが、ブログタイトルとしては長いので、外してあります。
それでは今回の内容に入ります。
1 活元運動を「思想を通じて理解する」とは
活元運動の起源は、師野口晴哉が古神道に伝わる「霊動法(「鎮魂(ちんこん)・魂振(たまふり)」と呼ばれてきたもの)」を体験したことに始まっています。
霊動法一般(鎮魂帰神(きしん)、稲荷降しなど)では、ある種の霊が人を動かし健康に至らしめるという解釈もあり、迷信的な捉え方になりがちでした(狐憑き、神懸かりなどと呼ばれることもありました)。
師は、この「鎮魂・魂振」から宗教(神秘)的色彩を取り除き、西洋近代医学の生理学的な解釈を付与(=「錐体外路系運動」の訓練として位置付け)し、積極的に健康保持に役立てるようにしました。
さらに、フロイトに始まる深層心理学を取り入れた師は、霊動法を、潜在能力を喚起する(=無意識を啓く)ための「身体の開墾」としての行と位置づけ、「本来の体育」として活元運動を提唱しました(=近代化)。
当会では2005年4月よりの会報を通じて、活元運動についての思想、それは、「整体」という身体との「心理的・精神的な関係」を表現してきました。既に、ここに、活元運動を「思想を通じて理解する」という活動が始まっていました。
思想は知的理解によるものですが、野口整体の世界においては、何より「身体感覚」を高めることが肝要で、これが修養です。修養のために必要な思想を理解することが教養です。
ぽかんとして活元運動に良く入って行くと、通常の意識とは異なる変性意識と呼ばれる状態に導かれ、この意識に至ることが瞑想法です。
しかし変性意識状態は、その人の人柄や「教養・文化」の相違により、大きく異なって来るのです。そこで、修養法である活元運動に「教養」が必要だというわけです。これを高め、また深めるための思想教育が当会の在り方(信条)です。
思想とは、哲学の世界で「考えることによって得られた、体系的にまとまっている意識の内容」を言い、「その人の生き方、社会的行動などに一貫して流れている、基本的な物の見方、考え方」というものです。
哲学者の森 有正氏(1911~1976年)は、師野口晴哉を「日本に初めて真の思想家が現れた」と評されています。
こうしたことを踏まえ、当会では、2012年に始まる講義(「思想を通じて理解する」活元運動 Ⅰ~Ⅲ)を始めとして、活元運動を「思想を通じて理解する」教育に尽力しています。