野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第五章 東洋宗教(伝統)文化を再考して「禅文化としての野口整体」を理解する 一 3

3 西洋文明の基にある二元論(二分法)

 津田氏の文章にある「我と物との対立」、「人間は自然を支配するものである」という言葉の大本にある二元論について考えてみたいと思います。

 現在なお、2011年3月の東北地方太平洋沖地震による、「福島原発事故」処理の問題が国内の最重要課題となっています。

 日本は被爆国でありながら、敗戦後二十年経たないうちに原子力発電所が稼働し始め、その後、アメリカ・フランスに次ぐ原発保有数世界第三位の国となりました。これほどに原発が推進されてきたのは、実は日本列島が、米欧自由主義諸国の反共産圏の砦とされた面があったからです(日本を原発化することで、共産圏への原爆投下を可能にする狙いがあった)。

 キリスト教が科学を生み、科学技術によって産業革命が起こり、資本主義が生まれました。資本主義は、資本家と労働者という社会の二分をもたらし、そこから派生した社会主義が、当時、資本主義と「対立」していたわけです。この「対立」というもの、そして敗戦後の科学至上主義が、福島(原発)の惨状につながったのです。

  西洋の伝統と呼ばれるものは、ヘレニズム(古代ギリシアの文化・思想)と、ヘブライズム(旧約聖書などに見られる古代イスラエル民族の文化・思想)という、二大文明の影響によって形成されました。これらの精神は、共に世界を二つに分け、互いに対立したものと見なす「二元論(二分法)」というものでした。

 ギリシア人は、知性を基準に世界を「二分(註)」しました。

 哲学者プラトンは、現実を、理性の世界(形相(イデア))と感性の世界(質料(ヒュレー))へと「分裂」させることで、理性を至高とする西洋哲学を創始したのです(第三章三 2参照)。

(註)二分法 感覚よりも理性を重んじる合理主義は、古代ギリシアパルメニデス(前500年生)に始まり、ソクラテス(前469年生)を経てプラトンイデア論に大成された。

  ヘブライ人は、神を、現世を超越する絶対的な存在と規定し、世界を、神とその被造物に「二分」しました。ヘブライの神は人間の住む俗界から隔絶された存在でした。

 この、ヘレニズムとヘブライズムの二大文明は、キリスト教に受け継がれ西洋の伝統となったのです(キリスト教は、ヘレニズムの「理性至高」とヘブライズムの「人間至上」の合体)。

 これが、近代科学を生み出した分離思想(註)・「対立」(非連続的自然観)の原点です(第二章一 1参照)。

(註)分離思想 自然の中で人間を特異な存在として分離する考え方。

 キリストの死(33年頃)後、弟子の頭であったペトロ(? ~ 67年)は無学な漁師の出で、主に同じユダヤ人の間で宣教活動をしましたが、もう一人の有力な弟子であったパウロ(? ~ 65年)は、ギリシア語が堪能なユダヤ教の学者として、ローマ帝国内に宣教を拡大しました。

 パウロは、ギリシア哲学の人間観、世界観、宇宙観を十全に踏まえ、その論法を駆使して宣教を拡大したため、ユダヤ教から派生したキリスト教は、ユダヤ人の民族宗教の枠を超えて、当時の世界宗教として発展することが出来たのです。

 二~三世紀になると、キリスト教ローマ帝国に普及し(後に三九二年、キリスト教を国教化)、キリスト教神学はプラトン哲学の影響をより色濃く受けるようになります(古代から中世まで)。

 それは教団が、キリスト教ローマ帝国に布教する過程で、ギリシア哲学の知識を身につけた教養人たちに、キリスト教信仰がギリシア哲学の教えと矛盾するものではなく、むしろそれに優るものであることを証明する必要が生じたことからです。

 当時の教養人たちが当然の前提とした伝統的な哲学的世界観や人生観の多くは「プラトン主義」に基づくものであり、キリスト教ギリシア哲学の関係は、「信仰(無条件に信じる)と理性(物事の根拠・由来を理路整然と探求する思考能力)」の問題と言い換えることができます。

 こうした時代背景の下、神学者アウグスティヌス(三五四年生)は、キリスト教思想と新プラトン主義(プラトン哲学の発展形態)を統合しました。この思想統合は、西洋思想史を語る上で外すことができない重要な業績で、その影響は西洋思想全体に及んでいるのです。

 ことにアウグスティヌスは、「理性は神(イデア)に起因する、より確かな認識原理」と、その優位性を主張しました。理性こそが、全知全能の神によって、人間のみに与えられた優れた能力であるという解釈は、その後のキリスト教神学と西洋思想の方向性を決定付けたと言えます。

 この理性を至高とする合理思想(主義)―― 古代ギリシアプラトン哲学以来の、自然現象を論理的・体系的に説明しようとする ―― は、後にデカルトの近代合理主義哲学に受け継がれます。

 そして、ユダヤ教を基とするキリスト教の、分離思想による「自然統御」は、「神が人間に自然を制御支配させる」というものでした。

 ヘブライ人の「神と被造物」という二分は、「人間と自然(他の動物と植物・自然環境)」をも二分する(=自然の中で人間を特異な存在として分離する)もので、人間が自然を支配するという考え方の元になりました。

 やがて、合理思想と自然支配という二つの二元論的精神を包含したキリスト教から、近代科学が発達することになります。