野口整体と科学 第一部第五章 東洋宗教(伝統)文化を再考して「禅文化としての野口整体」を理解する 一 6
今年は東日本大震災から10年という年でした。そして、当時表立って語られることのなかった避難生活での性暴力がNHKの番組などで取り上げられるようになり、今もまだ生活基盤が安定しない方や心の問題に苦しむ方が多いことも報道されました。
そうした事情もありますが、東日本大震災以後、PTG(心的外傷後成長)という観点が注目されるようになり、海外の研究者からも注目を浴びています。
PTGとは身心共に強い侵襲を受ける状況の中、不適応や混乱などに苦しむ体験をし、そこから立ち直っていく過程で、内面的な成長が起こることです。
これは、トラウマという「外傷」を癒し、症状がなくなることが治癒であるという従来の考え方を超えた観方で、乗り越え立ち直っていく過程で成長が起こるという、生きながらの死と再生の過程とも言えます。
東日本大震災の被災者の中にはこのような内的経験のあった方が多く、人間関係の変化のみならず、世界観、死生観など宗教的な領域での深い経験も報告されました。
PTGは野口整体の病症観にもかなり近いのですが、その根底には日本人の自然観、生命観というものがあると思います。それでは今回の内容に入ります。
6 西洋の宗教と日本の宗教― 大震災で、なぜ日本人は冷静だったか
2011年の東北地方太平洋沖地震の直後、海外(欧米)のメディアは、「震災後の日本人の冷静さ」について称賛とともに報道しました。彼らにとっては、被災地で略奪や暴動が起きなかったこと、被災者が支援物資を配る列に忍耐強く並ぶことなどが、ニュースにする価値がある「驚くべき美徳」だったのです。
彼らは、この日本人の品性の背景に宗教心を見出しています。
アメリカの「ABC TV」では、被災者が協力して瓦礫を取り除いたこと、避難所でさえゴミ分別の規則を守ることについて、「神道・儒教・仏教」が背景にあることを伝えています。
フランスの「F2 TV」では、社会学者ジャン=フランソワ・サブレが、震災後の日本人の冷静さに対し「そこに日本の活力を特徴づけるものがある(第二次大戦後のように)」と評しました。
日本で長年暮らしてきた日本研究者である彼は、「日本人は悲観的でない運命論者」で、「自然の力を崇拝する神道が教えるところの態度」であろうと分析し、「西洋では人間は自然の主人とされるが、日本では人間は自然の一部であり、人間は自然に仕え、自然に一時身を置かせてもらっている存在なのだ」と、解説しました。
フランスの『ル・モンド』紙は、アニミズム的な神道と仏教(註)の影響を挙げ、世界は人間の理解を超えた力によって動かされるという考えが土台にあった日本に、仏教の「諸行無常」の考えが浸透しているからだとしています。
(註)神道と仏教
日本人が信じてきた「神道」という民族宗教があるところに、538年大陸から「仏教」が伝わって、共に排他性と独善性が少ないため結びついた。大自然に対しての共存や感謝の気持ちを大切にする「神道」と人間がよりよく生きていく為の生き方を提示してくれる「仏教」が深く融合し、やがて「和」の精神を大切にするようになった。
また、ある海外メディアは、震災からしばらくして「この日本という国の人たちは大自然に生かされているという考え方を持っていて、自然をいつまでも恨んではいない。これには驚きです。」とコメントしていました。
このような、大自然に「生かされている」という考え方が現在において存続するのは、近代世界ではとりわけ珍しいことなのです。
そして「日本人にとって信仰とは、真実の追求というよりも心の和らぎを求める(心に平安をもたらす)ことなのである」と解釈しています。(宗教情報センターHPより)
ここで私が取り上げたいのは、西洋では「人間は自然の主人」であり「信仰とは真実の追求」だという点です。これが、ヘブライズムとヘレニズムなのです(これが、人間の自然支配と理性による真実の探求という科学の特徴である)。
海外メディアが取り上げた「震災後の日本人の冷静さ」は、もちろん、日本人が意識せずに行っていることです。しかし、これらの報道は、それが当たり前のように思っているという日本人の「考え方(感じ方)」が、実は東洋宗教の恩恵なのであるという自覚を日本人に促すものであって欲しいと思います。