野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第一部 付録 「心を考える」は流行でしかない 1

今回の著作活動の元となっていた『月刊MOKU』2006年2月号の記事

  上巻『野口整体と科学』第一部は前回までで完了しました。今回から第一部付録に入ります。

 これは序章で触れられた記事で、私が塾生になってすぐに行われた取材を基に構成された、思い出深い記事で、当時塾生として一緒に整体を学んでいた故・清野賀子さんが編集しました。

 清野さんは元中央公論社の編集者、後にComme des Garçons (コムデギャルソン)の川久保玲氏に見出されて写真家になった方で、私は清野さんから編集や章立てのことを教わりました。

 先生は、この記事を会報の新春特別号にし、この記事ができたことを「喜び寿ぐ」と綴っています。今読んでも、当時の先生の熱がよみがえってくるような気がします。掲載後、数度にわたって加筆を入れたのが本原稿です。

 なお、今回紹介するリードと1は、MOKUの編集者による文章です。

 「心を考える」は流行でしかない 

つながりを取り戻す野口整体

『整体であること』。野口整体創始者野口晴哉は、人間があるべき姿をこう説いた。さらに『整体というのは、形を正すことではなく、勢いを正すことである』『整体とは人間の体調の整った状態であり、……体調の整った日は、何事も快い。ゴルフをやっても疲れない、仕事の調子も具合よく進められ、人に会ってもすらすら運ぶ』と。

 つまり、野口整体は心と身体は非常に密接な関係にあるということを教えてくれている。

 野口晴哉は「まず身体で感じること、それから考えること」と。私たちは、この「身体で感じること」をどこまでやっているだろうか。身体が発する切実な悩みや疑問に耳を傾けているだろうか。

 現在の日本では「心を考える」ことに躍起になっている。しかし、一方で「身体」は取り残されているのではないだろうか。

 野口整体を通じて約四十年、多くの「心」と「身体」に向き合ってきた野口晴哉氏の直弟子、金井省蒼(蒼天)氏が心と身体の関係性を明快に説く。 

1 風邪は治そうとしなくていい 

〝整体〟と聞いてどんなイメージがあるだろうか。背骨や首を押さえたりしながら身体のゆがみを矯正する……。これが一般的なイメージだろう。

 だが野口整体は、それらの〝整体〟とは一線を画する。野口整体では「潜在能力の喚起」を目的に置く。風邪にしても、その他の病気にしても、自己の持つ「自然治癒力」がきちんと発揮されることで治っていく。

 野口整体における理想的な身体の状態とは、腰が伸び、背骨がとおり、上半身の力が抜け下半身がしっかりとした「上(じょう)虚(きょ)下(か)実(じつ)」というものだという。

 創始者である野口晴哉には『風邪の効用』(筑摩書房 2003年)という著書があり、風邪は身体を治すものであって、抑え込むのではなく、経過させるべきものと言っている(病症を敵視する考え方はない)。

 個人の持つさまざまな能力も含めて、「潜在能力」を発現させるために身体に手を入れていく。身体を開墾すること、これが「野口整体」である。

 野口整体の方法「整体指導」には、「個人指導」と「活元(かつげん)運動」というものがある。ともに「愉気法」が基本になっており、「愉気法」とは、体に手を当て、相手を気で包むこと。

「活元運動」とは、あくびやくしゃみといった身体を調整するはたらきである、生理学でいう「錐体外路系(第一部冒頭参照)運動」を訓練するものである。一般になじみのある中国気功法では、その中の「自発動功」がこれに近い。

 活元運動を行うと、ストレスで知らず知らずに硬張っていた身体が弾力を取り戻し、つかえていた感情までも発散されるという。

 金井省蒼氏は野口晴哉氏の直弟子。四十年にわたり、人々の心と身体を観続けている。静岡県熱海市で「野口整体 気・自然健康保持会」を主宰、氏の元にはさまざまな悩みを抱えた人が引きもきらず訪れている。

(『月刊MOKU』中嶋隆)