野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

付録 「心を考える」は流行でしかない2②

2 からだ言葉

② 心(意識)が体から離れた現代人

 現代は、これらの言葉を身体感覚で理解できず、頭で「分かる・分からない」と判断してしまうと述べましたが、「頭で分かる」と「腑に落ちる」は、とても大きな違いです。

「腑に落ちる(腹で分かる)」という時、「体で分かる」というのは感情が伴い、心が動くのです。頭で分かって、それが体と繋がれば、感情が伴いますが、現代は身体に意識が薄く、頭が体と離れている傾向が強いのです。

 例えば、「良い写真を撮るには何が大切か」という問いがあります。「性能の良いカメラ」というのも一つの答えですが、それは「良い頭」と似たようなもので、実は良い写真を撮るには「感動」が大切なのです。

 対象を捉える時、頭で考える前に、心が動いたときにシャッターを押せば、機材に関係なく納得のいく写真が撮れることは皆さんにもあるでしょう。「頭で分かる」と「腹で分かる」はそのような違いなのです。

 江戸時代までの日本人は、身体ごと納得できるというか、感情を身体で感じることに秀でた民族だったと思っています。それを証明するように、身体を基にした「からだ言葉」が多く残っています。「心(意識)と身体は一つ」という文化だったのです。

 その他、私が長年の整体指導で確かめることができた、からだ言葉はたくさんにあります。ここでは、多くの事例があるものではないですが、「どんぴしゃ」と感じたお話を一つ。

 それは「肩身が狭い」というものです。指導を受けているある人が前日夜遅く、事務所のスタッフと、自宅で仕事の打ち合わせをしたかったのですが、「奥さんがいい顔をしない」という想いから、近所のレストランに出かけ、打ち合わせをしたとのことです。

 私は「○○さん、今日は肩が大変狭くなっていますよ。どんなことがありましたか?」と、声をかけたのです。彼は「スタッフに気を使う」という思いから、昨夜のレストランでは「一体あの家は誰のものだ!???」と、まさに「肩身が狭い」思いだったとのことです。

 ところが、この人の場合も、身体感覚としては感じていませんでした。このように、現代人は心(意識)が体から離れているのです。