付録 「心を考える」は流行でしかない 4①
4 近代化による日本人の身体の変化
① 近代化と敗戦により「腰・肚」文化を失った日本人
現代の日本には、心と身体に負担を抱える人々が増えてしまいました。その背景には、明治維新からの急激な社会の西洋化・近代化があったと思っています。合理的であり個人主義的な社会の出現です。私たち日本人はそれまでまったく別の価値観や生活様式の中で暮らしてきたのです。日本人の生活は明治以降大きく変化しました。
また、第二次大戦、敗戦後の激変は驚くばかりです。戦前、戦中までの国のあり方が、敗戦を境に間違ったものであると教えられたのですから、大人たちは何を信じてよいのか分からなくなったのです。
帝国主義(国内では軍国主義)のみを否定すべきところを、伝統文化まで否定してしまったから、自分たちのアイデンティティ(他と区別された独自の性質)を信じることができず、欧米を模倣するようになりました。
このように、敗戦による混乱と、営々と築き上げた精神的・文化的な価値を捨てたことで、信じられるものは「金」だけとなってしまいました。この70年余、経済的繁栄の陰で、日本人はどうなったでしょうか。
ストレス性疾患の増加、育児放棄、現役世代の抑うつ症や自殺、殺人事件においても目立つ家族内殺人…。倫理や道徳がとどまることを知らぬかのように崩れています。
この150年の間、日本は欧米を真似してきました。その間に日本がかくも無残な姿になってしまいました。
明治まではシャンとしていた日本人の背骨も、敗戦後は意識されることがないため、その持ち主は拠り所を失い、不安定に生きているように私には観えるのです。その中でも不安定さを意識できている人はまだ良い方なのかもしれません。
建物は、外見の豪華さではなく、「柱や基礎が丈夫であることが安心の基である」のは周知のことですが、人間においてさらに重要です。それは背骨であり骨盤なのです。骨盤がきちんとすれば、それは、さも「免震構造」ともいうべき機能(心理的ショックを吸収し影響を最小限にする)が発揮されるのです。
明治までは社会の各層において堅持されていた「腰・肚」という「型」による身体文化こそ、日本人の資質を活かし、その能力を発揮するための、実は合理的なシステムなのです。