野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

付録 「心を考える」は流行でしかない4②

4 近代化による日本人の身体の変化

②体から心へはたらきかけ、心身を育てる文化の喪失

 頭で考えられること(諸近代制度)は、「きしみ」を生じつつも、可能な限り西洋的なものに変えてきたかもしれません。しかし、千年以上かけて身体に染み込ませてきた日本人特有の動きは、そうした近代化の中でもなかなか変わらないものがあったのです。

 例えば歩き方です。今世紀に入っての、甲野善紀氏によって広く知られることになった「なんば歩き」があります。

「なんば」は日本人古来の歩き方で、あまり手を振らず同側の手足を同時に出し、体の片側ずつ運ぶというものです。その「なんば」が、幕末の動乱期以後、各藩が近代的軍隊養成のため、西洋から導入した現在の歩き方に変わってきたのです。

「なんば」で私が思っている重要な点は、膝を少し弛めていたことで、実は、これにより腰をよく使うことができていたのです。しかし、明治からの軍事教練の中で「膝の裏を伸ばせ」とやかましく言うようになり、これが、「腰・肚」から頭へと重心が移っていった原因なのです。

(日本人は、重心が西洋人のように頭へ上がっても、それで合理的な思考ができるわけではなく、「肚」で考えられなくなったことで無謀な戦争に突入したと、言うことができる=重心の移動が敗戦の遠因となる)

 そんな中でも、私が子どものころは、小学校の行進で「なんば」になる生徒がまだいました。「先生、どうしてもこうなっちゃう(同じ側の手と足が出てしまう)んです!」と、これは無意識の世界です。

 実はあの歩き方は、日本人としては正しかったのです。古来ほとんどの日本人は農民でした。日本の山野を歩く場合、そして畑仕事では、「なんば」が良かったのです。天秤棒を担いで歩く場合も、同じ側の足と手を動かします。

 西洋式の、右手と左足を出した次は、左手と右足を出すなどという意識の前に、同時に動くような「身体性」が昔から出来上がっていたのです。しかし、最近はそうした身体感覚も失われてきてしまいました。

歩き方だけではありません。洋服の導入も日本人の生活を大きく変えました。ズボンのベルトや着物の帯を締めるという行為は重心を定めるのですが、ベルトと帯は高さが違い、ウエストで締めるベルトに対し、帯は骨盤上部を締めます。西洋人はお臍の位置(ウエスト)が腰ですが、日本人の腰は骨盤なのです。

 日本でも、少年の帯の位置はお臍の上にありますが、身体の成長に伴い(骨盤部が発達するに従って)、重心が下がっていくのです。大人になっては、相撲取りが廻しを骨盤にするように、着物の帯を締めていたのです(男性の場合)。

 骨盤を縛るのは、それによって腹圧を誘導し、「肚」の力を得るためです。このよう に、日本人は骨盤部を重要視してきたのです。

 また、洋服では上着を肩で着ます。そして大きな襟とネクタイ、つまり胸が中心になります。これに対し、着物では腰帯、特に女性は最も金額の張る帯を後ろにするのです。重要視しているところが、西洋の胸に対して、日本では身体の裏側、腰椎と骨盤なのです。

 このような骨盤を育てる文化(着物と坐の文化)の衰退に因って、「大人」になれない人が増えているのではと考えています。

 これだけの身体感覚の相違がありながら、単純に西洋化したことが、現在の心の問題を引き起こしていると言っても過言ではなく、実はそうした身体感覚と心(感情や無意識)は深く結びついているのです。

(身心一元の日本の伝統文化に対し、西洋近代文明は「心身二元論」により成立している)

 比較的短い150年という時間の中で、日本人が長い生活形態の中から培った身体感覚を失ったことは、単純に生活の仕方や思考が変わったというだけではなくて、「日本人としての裡なる要求(心の在り方)」を、身体を通して受け取ることができにくくなってしまった過程でもあるのです。

 要するに、「心の動き」を感じるのが下手になってきているのです(日本人としての感性が無意識化している)。