野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

付録 「心を考える」は流行でしかない 8

8 天心による愉気

 愉気法を行う上での「心のあり方」について、師は次のように述べています(野口晴哉『健康の自然法』整体協会出版部)。

ポンに愉気の方法を説く

人間の精神集注は、その密度が濃くなると、いろいろと、意識では妙だと思われることが実現する。穏やかな太陽の光でも、集注すると物を焼く。光はレンズで捉えるのだが、気は精神集注によってちからとなる。それ故、愉気するには高度な精神集注の行えること、恨みや嫉妬で思いつめるような心でない、雲のない空のような天心が必要である。

 修練を積むことで自らの気の密度を高め、他者の気を感受することができるようになる。テレビに出てくる歌手でも、多くの人を感動させる力のある人は、そのような力があると感じられます。訓練することで、個性を超えて普遍的に多くの人を「癒す」力を持つことができるのです。言葉にならない心を伝えることができるもの、これが「気」なのです。

 私が「気」にはまった感動的な体験をお話しします。

 入門後どれほど経った時か、ある日の師の講義中でした。私は心の中で「この人は凄い!でも、なぜこんなことが分かったのだろう」と思いました。そのとき最前列にいた私はふと顔を上げると、師は私をじっと見つめて、「気を集めると分かるんだよ」と言われたのです。「この人は何なんだ!」と思いました。

 この体験によって、私はまさに「気」によって、人の心が読めることを教えられたのです(天心であれば気は感じるもので、言葉がなくとも相手の心が分かる)。

「以心伝心」という言葉がありますが、これは「密度ある気」によって行われる高度なコミュニケーションなのです。

 師は「気」を観ればその人のことが分かると話されましたが、実はみんなが見分けることができるものなのです。

 ある人を見て、「暗い」とか、「明るい」ということを感じるのは、その人の「雰囲気」という「気」を観て判断しているのです。決して外見的なものだけで判断しているわけではありません。こういったことは、誰でも何となくはすでに感じているのです。

 例えば、「彼はやる気がある」「根気のない人だ」「心配事があるようだ」と言いますね。これらの言葉は、人が日常的に「気」を感じていることの証明と言っていいのです。「気を集めて」、よく観れば分かるものです。

 私が若い頃までは、結構多くの大人たちが「顔に○○と書いてある」と、人の心を読んでいたものです。

 今でも、実は皆が何となく、または直観的に感じている「気」なのですが、その「気」による感性を洗練させていくことで、その人の「気」をより深く観ることができるようになります。「裡の動き」も、「気」を観ることによって捉えていくことができます。

 しかし現在意識だけでは、「気を観る」ことはできません。「気を観る」感性は、潜在意識のはたらきによるのです。

 野口整体の「愉気法」は、手で触れることによる本能的なはたらきによって、「気を観る」ことを可能にしていると思います。

 意識を超えた感性を鍛錬して、言わば「観法(かんぽう)」までに高めたものにより、私は人の身体を観ているのです。