付録 「心を考える」は流行でしかない 10
10「心と体」・「人と人」のつながりを取り戻す野口整体
活元運動は、お互いの「気」が感応して生ずる運動です。
例えば、人が狼の檻に入ると威嚇されますが、これは檻に入る人間が緊張していると、その人の筋肉に現れた緊張を見て、狼が不安を感じるからなのです。リラックスしているもの同士だと、仲間と認め合えるのです。
これと同様、私は自分に対した相手が緊張しているのを見るのは実は嫌なのです。ここが、私にとって鍛錬が必要な部分ですが…。
逆に、相手が弛んでくるのを観ると、私も安心します。これはもう、本当に野生的な感覚です。
こういう感覚を共有することが大切なのです。先ほど言ったように、私も動物ですから、相手が緊張しているのは好きではありませんが、ここが野生動物と人間の違いで、人の場合、こちらが相手を理解し、その不安を共有すると、相手は弛んできます。
ここに、触れ合ったもの同士が、「群れで生きるもの」のような連帯感を、無意識裡(り)に共有しているのです。
こうした、身心を一体とする、またそれを他者と共有する日本の長い伝統的な生活文化・生活哲学を失ったことが、現在の若者における「心」の病の背景にあると思います。
最近では、軽度のうつ的状態の人が多く見受けられます。現代人は考えすぎなのでしょうか、ストレスがかかりやすい社会なのでしょう。怒りや不安といった感情から身体が硬くなっているのです。
軽度のうつ状態だと身体にまだ動きが見受けられますが、症状がひどくなると、身体に動きがなく、固まっています。
私の整体指導では身体の裡の動きを誘導していくので、重度のうつの人を観るのは非常に難しい面があります。重度のうつは思考も身体も動きが止まっているからです。
整体であるということは、裡の動きがあり、それを感じることができるということですので、この範疇に入る人を対象に指導をしています。
今は心という目に見えないものを必死に追いかけていますね。でも、見えていない。そこで、身体という身近なものに目を向ける(手で触れる)と、実は心が身体を通して訴えてきていることが解ります。しかも、誰しもそういう能力を持っているものなのです。感じること、これが大切なんです。
私は整体指導における身体の観察を通じて、「心」を識り、さらには「野口整体の源流は日本の身体文化」と理解するようになりました。
私たち日本人は、近年「心を考える」という流行に乗っかっているだけだったのです。
今、この本来保持しておくべきだった、日本人の野生を取り戻す時なのではないでしょうか。
野口整体は、単なる机上の学問や理屈をこえて、身体に触れ、導くことにより、より根源的な「心=無意識の問題」を具体的に読み解く方法として、「大きな可能性」を、今まさに拓こうとしています。
第一部 完