野口整体と科学 第一部 おわりに 3
おわりに 3
熱海・整体指導 満四十年記念祝賀会
2012年早春、私が熱海で整体指導を始めて、この年で満四十年を経過する年であることに気がつきました。そこで、7月31日「祝賀会」を開くことにしました。
以下はその「お知らせ」のためのものです。
家内のとも子との縁で、私が熱海で初めて整体指導を行ったのは、1972年の8月1日でした。七月末に南紀白浜で行なわれた師野口晴哉の体癖講座を終えて、熱海まで車を運転してきた翌日のことです。この道に入って五年余を経過していました。
以来、2012年の7月31日で丸四十年を経過することになりました。様々なことがあったようであり、また同じ毎日が繰り返されたようでもあります。
そして前年は、数年がかりでようやく『「気」の身心一元論』を刊行することが出来ました。師野口晴哉の生誕百年という2011年に二冊目の出版が叶ったこと、そして、この本を足掛かりに、「科学と身体性」を主題として私の思想を展開しようとする年が、ちょうど満四十年となる本年となりました。
このような時期に、師の生誕百年と熱海での整体指導満四十年を記念し、7月31日ささやかな祝賀会を開くことを思い立ちました。
二〇一二年三月二日
次は、祝賀会(この模様はHPにてご覧頂けます)の後、参加頂いた方に宛てたお礼のメール文です。
祝賀会には、多くの方にお集まりいただきありがとうございました。当日は、雲ひとつない好天の下、雄大な富士山を左手に仰ぎながら、東富士五湖道路を快適に走り、会場に到着することが出来ました。
会場のレストラン “キャフェ・ドゥ・ブローニュ” (河口湖)では、腕が上がっている長山シェフとマダムの恵さん、そしてスタッフの献身的なもてなし、また「アリエル&夕紀子」の演奏と歌、と、とても充実した祝賀会となったこと、感動的でした。
長山夫妻との縁は、恵さんが個人指導に通ううち、妻とも子の河口湖町活元指導の会も行われるようになり、やがて、シェフも個人指導に通うようになったことです。そして、このお二人の仕事熱心さが、私が祝賀会会場に選んだ何よりの理由です。
挨拶で述べましたが、何より祝いたいのは、7月28日の朝日カルチャーセンター新宿での講義(「思想を通じて身につける活元運動Ⅰ」)を始めとして、「私としての野口整体の思想を世に広めていくことができる」ようになったことです。この気持ちを受け取っていただいた、祝賀会に参加された全ての方にお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
二〇一二年八月三日
謝辞
私は師野口晴哉の全生思想を、「可能性の実現」と捉え、今日まで整体指導の道に精進して参りました。
師を亡くしてからの長い間、「自分はどのようなことをやっているのか、またやっていくのか」と考え続けてきましたが、今、2008年4月よりの8年という時を経て、それは「科学を相対的に捉える」ことを通じて、この道が明確になったという思いです。
皆さんにこの道の一端をお伝えすることが私の責務と考え、慣れない本作りに向き合ってきましたが、私は今、『「気」の身心一元論』を改訂し、『野口整体と科学 活元運動』を出版できたことを喜んでいます(本書内容の推敲を重ねる中で、ついに私の整体人生は五十年目に突入していた。2016年4月2日記)。
塾生の毎週月(火)曜日の編集委員を始め、他の塾生を含めた多くの人の協力を得て、ここまで著すことができました。
とりわけ、2012年夏場からの高橋豊紀君『「気」の身心一元論』販売促進活動は、改訂編集作業に対する大きな援護となりました。彼の活動は、地元の山形市、福島市に始まり、北海道、青森県、新潟県、富山県、長野県、そして関西、東京(関東一円)、静岡県と、全国展開をめざすものでした。
高橋君はこの活動を通じて成長し、天風哲学の「積極心(せきぎょくしん)」に開眼していったようです。その勇姿は当会に関わる人々に大いなる刺激となりました。
この場を借りてお礼を申し上げます。
二〇一六年四月初め