野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 第一部 おわりに 4

おわりに 4

結び

 湯浅泰雄氏は、自分の人生の「意味への問い」、について次のように述べています(『宗教と科学の間』二二頁 序章)。

…人間には、自分自身の「生」、つまり自分が生きていることの《意味》を求めようとする本能があります。私たちが何かに人生の生きがいを求めるのはそのためです。人間には、自分の人生には何らかの意味があると信じたい願望があります。私の考えるところでは、そういう本能が知への要求を生むのだと思います。

そういう、《意味》への問いを自分の外にある世界にむけるとき、世界の事物が存在していることの意味について知りたいという要求が生まれてきます。対象についての知、科学の知は、そういう要求の産物です。このことは言いかえれば、世界についての問いの根底には、人間としての自分自身の生の意味についての問いが隠れていることを意味しています。それが、思想にたいする要求を生みだします。

 本書推敲の最終段階を迎えた頃、この部分を読み返した時、私はまさにこのような欲求によって、自身の社会的立処を確立し(自分の人生の意味を知り)たかったのだ、と深く感じた次第です。

二〇一六年初夏

追記

 第三部第一章に『日本の弓術』(および『新訳 弓と禅』)を用いて、「禅」の内容を深めたことから、本書編集の最終段階にて、勢い、鈴木大拙氏についての内容を深める(第三部第二章・三章を編集する)ことになりました。

 鈴木大拙氏は1909年、アメリカ(11年)とヨーロッパ(1年)での生活を経て帰国すると、その後の海外での講演活動は、1936年(6月~11月)に英国と米国での講演を行なう程度でした。

 しかし敗戦後の1949年、ハワイでの東西哲学者会議に出席すると、翌1950年から58年の間は、最も海外活動が活発となりました。これは大拙氏が八十歳(1950年11月11日)になってからのことでした。

 このような高齢となってからの氏の世界的な活動はおおよそ知ってはいたことですが、今回改めて「大拙の世界」を詳しく知ることで、師の晩年の活動に一層の尊敬の念を抱くとともに、近々、七十歳を迎える私にとって、自身の今後の目標としたいという思いを持つことができました。

 下村寅太郎氏(哲学者)は、大拙氏の説く「禅」について次のように述べています(『鈴木大拙とは誰か』二五六頁 我々の思想史における大拙博士の位置)。

 大拙先生は禅の知的側面をしばしば強調していられた。知的批判に耐えるのでなくば近代の思想として世界(普遍)性を持つことはできない。大拙先生の話や文章は常に近代の思想と生活との対話であるゆえに、常に新鮮で瑞々しい。禅の伝統を局地的なものでなく、これを近代において生きたもの、世界性を持つものにしたのは、先生による。

 私は本書を世に出す上で、右の文中「知的批判に耐えるのでなくば近代の思想として世界(普遍)性を持つことはできない。」の言葉を我が物とする、という自負を持つものです。

二〇一七年仲秋