第二部 第三章 一4 自分が変わらないと問題は解決しないという認識
顔面ヘルペス経過の後、真田さんは野口整体により深く関心を持つようになり、自然治癒力の存在に信頼を置くようになっていった。
その一方、職場では様々な問題を抱えていた。トラブルばかり起こす部下、人事、多様な難題の海に溺れてしまいそうな状態で、根本的解決の糸口は見つからなかった。
知的な能力高い真田さんは、仕事の上でも緻密に、論理的に思考し、妥当と思われる方法で問題に対処していこうとしていたが、却ってそれが対人的には混乱の元になっていたようだ。
ことに組織経営の要と考えていた人事において、それがはっきりしていた。候補者の実績、成績などを緻密に分析して評価し、確実と判断した人を採用し、配置していたにも関わらず、うまくいかないことばかりだった。
この頃、真田さんは妻のAさんに管理職にある若い人を抜擢した、という話をしたことがあった。ちょうどその時、この人から写真付きの年賀状が来たのだが、妻はそれを見て「この人は人の上に立つのは無理だよ」と言った。
それは私の評価とは正反対で、単に写真を見ただけの妻の言葉をまともに受け止めはしなかったのだが、それがその通りになってしまい驚愕したことがある。
真田さんは、妻Aさんは野口整体を学び始めてから「体つき」に興味を持って観るようになり、そこから「人となり」を感じ取るようになっていったと言う。そして自分の人間の見方には問題があると思い、そういう自分自身を変えないと、こういう人事などの問題は解決できないと思うようになったのだった。
日々、仕事に追われ、いろいろな問題が起こり、それに翻弄される。何とか解決しようとするが、また新たな問題が起きる。こうして課題を乗り超えられないままに、状態が悪化していくのは、結局「人の見方」に端的に表れているように、自分の対応力のなさが大元にあるからで、自分を何とかしなければならないと気づいたのだ。
こうして真田さんは、病症経過を体験した後、改めて、野口整体の人間観に、「ある種の不思議さを感じた」という。しかし、理性的には見えないものを観る力というのはなかなか理解し難いと感じた。
仕事上の混乱は私が蒔いた種の結果であり、「自分が変わる」ことなしに職場や人を変えようとしても、問題は解決しないという気づき。(金井・これは科学的思考ではなく「禅の智」の始まりである)
そして野口整体は、この科学の時代においてもなお、妻の中に、感覚的に人間を観、判断する能力を育てているという事実。
こうしたことを通じて、真田さんは「野口整体を学びたい」と思い始めた。そして妻の勧めもあり、2006年8月、初めて活元指導の会に参加することになった。
(金井)
管理職として「仕事上の実績(顕在した能力)」を評価する必要性はあることと思いますが、野口整体での「身体つき」で人を観ることは、「どのような能力(可能性)が潜んでいるか否か」を評価することになります。
真田さんが、ここで「私の人の観方には錯誤があった」と述べていることの一例として、自分の部下であった時の彼の実績によって評価し、一分野の管理職に昇進させたのですが、そこでの「人心掌握力は持ち合わせていない」ということがあったのです。