野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第二部 第三章 二4 意識(頭)を基礎とした西洋近代のスポーツと無意識(背骨)を基礎とした野口整体の体育

 今回の内容には、野口晴哉の古い文章が引用されています。本文は旧仮名遣いですが、ブログ用として現代仮名遣いに改めました。文中の( )は金井先生が入れました。

 戦前の学校では体育よりも「体練」という言葉が使われ、教練、体操、武道の三分野がありました。1925年(第一次大戦後)からは陸軍現役将校を旧制中学校以上の学校に配属し、教育の場で軍事教練が行われていたのです。

 教練では、軍国主義的な思想教育と射撃など武器の使い方や戦史などを教え、演習も行ったようです。こうした軍事教練も近代的な身体観に基づく身体訓練でした。

 こうした事情で、戦前は一斉に体を鍛える(強い体を作る)こと、一斉に同じ動きを身につける(他人と違った動きをしてはいけない)ことが目的となっていました。スポーツが体育の中心になっていったのは戦後のことです。

 しかし、基本的な心身観は同じであり、教育によって戦前、戦後に亘って日本人の身体を近代的に作り変えていったということを押さえておいてください。

4 意識(頭)を基礎とした西洋近代のスポーツと無意識(背骨)を基礎とした野口整体の体育

 近代化、とりわけ敗戦(1945年)後の科学(理性)至上主義教育の影響を受けている現代の日本人は、いつしか心身が「二元化」しているのです(心身二元論では、身体に「意識(心)」はない)。

 2(前回)の引用文「本来の体育」(1969年の講座)に先立つ約四十年前、師野口晴哉は次のような文章を記しています(『野口晴哉著作全集 第一巻』1930~1931年)。

 意識は総てではない。従って意識を基礎として組織した現代の体育的運動は、悉くその出発点に於て誤っている。意識を基礎としている結果、随意筋、不随意筋の区別を生じ、総ての体育的運動は皆随意筋の運動にのみ片寄って終った。而して随意筋は発達したが、之(生命)を養うの力に乏しいという結果を齎らした。

 又意識に捉われた結果は、生の要求する運動の適度を無視して、万人に同一の形式を強い、又人体の中心を忘れて胸に重きを置き、腹を忘れ、胸を主体とせる形式にのみ走っている。之が為、その目的に背馳して(反して)却って害を心身に与うるの悲しむべき滑稽を演じつつある。

 意識を基礎としての運動は、動物性神経(体性神経)を過敏ならしめ、植物性神経(自律神経)を弛緩もしくは過敏に導くの結果、意識のみ過敏に働き、感情は麻痺して活動鈍く、一般に思想が唯物的に傾き、延いては国家国民の行詰りを招来するに至る。

 自分自らが努力して自分を狭い意識の世界に追込み、徒(いたずら)に苦悩に呻吟しているが如き状態にある。思想善導の声高しと雖も、心の働く道は神経系なれば、神経能力を正しくせねば、心が正しく働く道理なし。思想の悪化も心身の病弱も、故なきに非ずである。予は声を大にして、体育改造を高唱し、世人の覚醒を促さんとするものである。

 予の主張する体育は、人体放射能(気)を基礎として行う運動によるもので、意識と形式を離れて、各自に適応するだけの運動(活元運動)を為し、呼吸と心との調和を図り、腹腰の力の一致せる処(丹田)に人体の中心を認める。而して完全なる心身を得んとする。

 随意筋、不随意筋の区別もなければ、神経系の発達に違和不調を来すことなく、真の彊心健体を獲得し、自然健康を完全に保持して、茲(ここ)に全生の実をあげることが出来るのである。

 師はすでに1930年という時代(昭和五年)、このように「意識と随意筋」による西洋的運動(スポーツ)を批判していました。

 西洋近代において、デカルトの近代合理主義哲学「心身二元論」により、理性が人間の精神(心)とされ、理性という意識(近代自我)の確立とともに「近代科学」が発達したのです。

(これは、古代ギリシアに始まった理性という意識が、近代以後とりわけ、身体から離れて発達したことを意味する)

こうして、近代科学においては「意識が総て」となりました。

 このようなことは、日本では江戸時代まで、全くなかったのです(日本は幕末・明治維新以来、西洋近代の影響を強く受けて来たが、とりわけ、敗戦後は理性至上主義が顕著となった)。

「意識と形式を離れて、各自に適応するだけの運動」が活元運動です。ここには「随意筋、不随意筋の区別」はないのです。

 意識は、理性「合理的な能力」と随意筋。無意識は、感性「心情の能力」と不随意筋、という関係があります(無意識を無視すると思想が悪化する理由がここにある)。