野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第四章「主体的自己把持」を目標とする整体指導― 真田興仁の体験談 後編 一「自分を知る智」とは1

 今回から第四章一に入ります。

 一は金井先生による内容で、この中に使われている真田氏の文章のみそのまま掲載することにしました。

 一ではユング派分析家の故・河合隼雄の引用が取り上げられていますが、ユングは意識の重要なはたらきの一つとして、「反省能力」を挙げています。ここで言う反省というのは、自分のことを良いとか悪いとかジャッジしたり、自分を責めたり後悔したり、ということではありません。「なぜそうするのか、なぜそうなってしまうのか」と自分に問うことです。いろいろもっともらしい理由を考えるのをやめて、自分が何かに動かされていることを受け入れて、その「知らない自分」に向き合うということです。

 それを「情動」を通じて行うというのが、金井先生の個人指導でした。

一「自分を知る智」とは

1 理性では支配できない人間の身心

 第三章では、科学的思考が発達しスポーツが得意であった真田興仁氏が、活元運動に初めて取り組んだ時の体験談を紹介しました。

彼は、活元運動を学び始めた当時の「身体性」から捉えた自分と職場の状況について、次のように述べています(第三章二 1の続き)。

 しかし、それでも活元運動を行うために感じた、身体の不自由さは、職場で向き合う多くの人々に対する自身の不自由さと重なった。管理職として、思うように人を動かすことの出来ない、自身に対する歯がゆさ、不自由さと重なったのである。

 そんな中で、活元運動の際に、理屈(前後左右バランス良く…)や他人の見本によって身体を動かそうとすると苦しく、それを諦めると、身体が気持ちよく動くということが、何を意味するかということを考えるようになった。日々生きていく上で感じる、「思うように事が進まないという不自由さ」を解決するための示唆になるのではないかと思う毎日であった。

 しかし思いあぐねるばかりで、仕事上での自身の混乱はさらに激化し、やることなすことが裏目に出て、とうとう「引きこもり」に近い状況になってしまった。

 あがけばあがくほど、事態が悪化し、自分の思いが裏切られる結果に疲れ果てた。全身を鎖で縛られ、身動きが取れなくなったような心境で、自分の裡に逃避する以外の術がなくなってしまった(二 1に続く)。

 真田さんは頭(理性による意思)の力で人を動かし、物事を解決しようと努力してきたのですが、それでは問題を解決できず、かえって深刻化してしまいました。この姿勢が活元運動をする時にも反映していたのです。

 彼は体験談 前編(第三章二 1)で、活元運動の準備運動は「あたかも、自分(意識)と身体(無意識)が別なところにあるという感覚だった」と述べています。このような、彼の「意識と無意識の不統合」が、「職場の世界」に共時的に表れ、「身体の不自由さは、職場で向き合う多くの人々に対する自身の不自由さ」となっていました。

 自分を修める力が人を治める力となるのです(頭では人の心は動かない)。