野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第三部 第一章 「無心」を主題とする禅的な精神修養の道筋・野口整体 一1

 今日から第一章に入ります。中心となっているのは、Apple社を創業したスティーブ・ジョブスの愛読書としても有名な、ドイツの哲学者ヘリゲルの著書です。私は、西洋の師弟関係は対話によってなされるということをこの本を通じて知りました。

 そして海外の、それも西洋文化圏の人の方が、禅的なものの観方や世界観を自身が生きる上での糧としている人が多いというのは、日本人として残念なことだと思います。

 それでは今回の内容に入ります。

一「神との合一」へと至る道・日本の禅文化「道」― ドイツ人が伝えた「日本人の精神性」

1 オイゲン・ヘリゲルとその著『日本の弓術』

 1924(大正13)年、ドイツの哲学者(新カント派)オイゲン・ヘリゲル(1884~1955年)は、東北帝国大学の招聘に応じ、哲学講師として来日し、仙台に居住しました。

そして、妻と共に、東北帝国大学弓術部師範であった弓聖・阿波研造(1880~1939年)を師として、弓道修行への「弟子入り」をしたのです。

 滞在した1924年5月から仙台を離れる1929(昭和4)年8月(註)までの間、彼は、日本人と西洋人のものの考え方の違いに突きあたり、また1926(大正15)年春からは、弓道の元にある「禅の精神」の理解に戸惑いながらも、帰国する頃には、師より免許皆伝・五段の免状を受けるまでに至ったのです。

(註)ヘリゲルの日本滞在期間の終わり月が資料によってまちまちであるが、ここでは『日本の弓術』(柴田治三郎訳 岩波書店1982年)の、新版への訳者後記「1929年(昭和4年)8月東北帝大を辞して仙台を離れ、12月帰国する…」に基づく。

 本章三 4で引用する『弓と禅』の訳者・稲富栄次郎氏の回顧録では、昭和4年の七月に帰国と述べている。

 ドイツに帰国後の1936(昭和11)年2月25日、ヘリゲルはその体験を元に、「騎士的な弓術」と題してベルリン独日協会で講演を行いました(彼は「術」に該当するドイツ語を、道の意味で使った)。

 そして同年、その原稿の日本語訳が雑誌『文化』に掲載され、その後、それに弓道修行の通訳をした小町谷操三氏(1893~1979年 東北帝大法学教授)の回想録を付して出版されたのが『日本の弓術』(柴田治三郎訳 岩波書店 1941年初版)です。

 その後1948年には、彼が講演の原稿(「騎士的な弓術」)を書き改めた『弓術における禅』がドイツで出版されました(この年ヘリゲルは、帰国直後から勤めて来たエルランゲン大学を退き隠棲する)。

 日本では、この本がヘリゲルの東北帝大での教え子二人によって翻訳され『弓と禅』(稲富栄次郎・上田武訳 福村出版 1959年初版)が出版されました。

 この英訳本『Zen in the Art of Archery』は、スティーブ・ジョブズ(アップル社共同設立者の一人 1955~2011年 アメリカ)が愛読したことで知られています。

 この本の序言で、ヘリゲルは「弓道と“禅”との間に存在する密接なつながりを明らかにすることが、私の講演の眼目であった。」と述べ、日本の「道」が禅文化であることを強調しています。

 そして、2015年12月には、『日本の弓術』と『弓と禅』を一冊とした『新訳 弓と禅』(魚住孝至 訳・解説 角川書店)が刊行されました。

 本章は、オイゲン・ヘリゲル著『日本の弓術』と『新訳 弓と禅』(福村出版版『弓と禅』は一部使用)を元に、現代ではその多くが失われた、伝統的な「日本人の精神性(身体性)」を伝えようとするものです(『日本の弓術』の内容は『新訳 弓と禅』にも含まれていますが、これについては岩波文庫版を使い、『新訳 弓と禅』収録の同内容については、訳注(五一頁~五四頁)のみを使用)。

 これらの著作には、西洋人、また論理主義者でなければ、弓道の師とこのようなやりとりをし、また記述することはできない内容が、いかにもドイツ人らしく精密に記されています。しかし、この「論理的な思考と方法論」が、弓道の師の禅の教えによってことごとく否定され、打ち負かされ、ついには、言語と論理の限界を突き抜けていく過程が著されています。

『Zen in the Art of Archery』は、西洋に「禅とは何か」を伝えるものとして浸透していますが、ヘリゲルが著したこの内容は、敗戦後七十年に亘り伝統文化を切り捨て、かつ科学教育のみに育った(=西洋化した)現代の日本人にとっても、きわめて意義あるものと確信し、これを用いて本章を編み、本書(上巻Ⅰ・Ⅱ)内容理解の一助としたいと思います。