野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第四部 第二章 二1 西洋的自然観から生じた「科学的客観」と東洋的自然観から生じた「禅的絶対主観」②

②西洋と東洋

一 東と西

芭蕉(1644‐94)、彼はご承知の通り十七世紀の日本詩人として偉大な人だが、彼に、

  よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな

という十七文字の俳句があるが、これを英語に直すと、まず、

  When I look carefully

    I see the nazuna blooming

    By the hedge!

 といったふうになると思う。

…さて、まず日本の歌人俳人の多くがそうなのだが、芭蕉という人は自然詩人であった。彼らはきわめて自然を愛する。愛するに止(とど)まらず自然と一体となって、自然の鼓動を一つ一つ自分の血管を通じて感得(奥深い道徳や真理などを感じ悟ること)するのだ。

 ところが、西洋の人々は概して自然から自分を引き離し勝ちである。彼らの考えでは、多少の例外はあるとしても、人間と自然はお互いに共通し合うものを持ち合わせておらず、自然とはただ人間がこれを利用するために存在しているのだと考えている。しかし東洋の人々にとっては、自然とはごく身近かなものなのだ。

…ひとたび我々人間に詩的というか、神秘というか、宗教的というかそうした目が開けるというと、我々はあたかも芭蕉が感得したように、名もなき野の草のひと葉にも人間の汚れた、さもしい感情をすっかり洗い落とした何ものかを感得する。

 この感情によって我々は浄土(註)の荘厳と少しの変りもない世界に高められて行くのだ。ここでは、ものの大きさなどという事は少しも問題にはならぬ。この点に関しては日本の詩人は独特のものを持っている。つまり、大小という差別を超えて、しかもそこにごく小さなものの中にも大きなものを見て行くというのである。

(註)浄土

 仏教における概念で、清浄で清涼な世界。「その心浄きに随って、すなわち仏土浄し」このような清浄の世界は正しく仏の国である。反対語は「穢土(えど)」で、これは人間が自縄自縛して、虚妄なるものを虚妄と知らず、それに捉われ苦しんでいる煩悩の世界。

 これが東洋である。さてそこで次は、これに比すべき西洋のものは何かということを見てみたい。テニスンという人がある。彼は東洋の詩人と比肩せしめ得るに足る西洋の代表的詩人とは言い得ないかも知れぬ。けれども次にかかげる彼の短い詩には、芭蕉の薺(なずな)の句にきわめて近い何ものかがあるようだ。

 壁の割れ目に花咲けり

割れ目より汝を引き抜きて

われはここに、汝の根ぐるみすべてを

わが手のうちにぞ持つ

おお、小さなる花よ

もしわれ、汝のなんたるかを

根ぐるみ何もかも、一切すべてを

知り得し時こそ

われ神と人とのなんたるかを知らん

この詩で私は二つの点に注意したい。

1 テニスンが花を引き抜いて、彼の手のうちに握って、おそらく意識しながらそれをじっと見つめて、お前の〝根とすべてをわしは握っている〟と言う。

…これは行動的で、分析的であると言える。彼はまず花をその生えている場所から抜き取る。花にとっては大切な土から抜き取る。花にとっては大切な土からその花を引き離してしまう。これは東洋の詩人とはまったく別の行き方と言えよう。東洋の詩人は土から離して花だけにするというようなことはせぬ。テニスンは破れた土壁から花を引き離してしまわねばおかぬ。根も何もかも――、これは植物にとっては死を意味する。

 見たところどうも、彼は、一本の草が死のうが生きようがそんなことはどちらでもよいように見える。それよりも彼の好奇心を満足させねばならぬ。ちょうど医学の研究家がやるように、彼は花を生きたまま解剖せんとする。芭蕉のほうは薺に指一本もふれない。ただ花をジッと見つめるのみ。彼の行為はただ〝よくみる〟ということにつきる。行動的ということとはまったく逆で、この点テニスンのダイナミズムとはまったく対照的である。

 この〝よくみる〟ことは全体を感得することで、野口整体の指導において、とりわけ意義のあることです。よく観ないで操法(施術)をすることと、よく観察して行なうことでは、相手に大きな差異をもたらすのです(よく観る、深く考えることで、人間がよく分かってくる)。

 科学的な研究態度が身に付くと、往々にして「好奇心」を満足させる、ための研究と(ために研究したく)なって、医療現場においてとりわけ問題となる、人間を「研究材料」として扱うことになってしまうものです(原爆も造ってしまう)。

科学的客観とは、医療においても、人間を「対象化(註)」するものとなるのです。

(註)対象化

 客観的な対象へと具体化し、外にあるものとして取り扱うこと。客体化とほぼ同義。←→一体化。