野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第四部 第二章 二4 科学の後にやってくる禅的な方法①

4 科学の後にやってくる禅的な方法
①禅的な観方

鈴木大拙氏は、「禅的な方法」について次のように述べています(『禅と精神分析』)。

二 禅仏教における無意識

…なるほど或る時期の間は科学もしくは概念的思考が人間研究の全領域を占めることがあろうが、しかし禅の立場はそれから以後に展開するものである。

…科学が実在を扱う方法というのは対象をいわゆる客観的方法で観察する。

たとえば、この机の上に一輪の花がある。これを科学的に研究するとすれば、科学者はそれをあらゆる角度から分析に付する。植物学的、化学的、物理学的にいろいろやる。そしてそれぞれの特殊の研究的立場から花について見出したあらゆる事柄を報告する。

そこでいわく「花の研究はつくされた。別の研究をやって見て何か新しいことが見付け出されぬ限り、この花について述べることはもはや何も残ってはおらぬ」と。であるから、実在の科学的取り扱いというもののおもな特徴は、対象を記述すること。それに〝ついて〟語ること。その〝周囲〟をぐるぐる回ること。我々の知的感覚に訴えるものはなんでもこれをとらえて、それを対象から抽出する。

そしていっさいのこうした手筈が終ったと考えられる時に、こうした分析によって公式となった抽象の結果を総合して結論というものを得ることになる。

しかし、なおここに疑問が残る。〝網にとらえた物は果たして完全な物だったのか〟ということだ。私は言う〝とんでもない〟と。なぜなら、私たちがとらえ得たと思った対象とは〝抽象の寄せ集め〟ではあるが、〝そのものズバリ〟ではない。

実用的には功利的な目的のためにはこれらのいわゆる科学的公式といったものでも十分過ぎるように見える。けれども、いわゆる対象自体は全然そこにはいないのだ。水から網を引き揚げてみて、ハテ何カ網目カラ逃ゲ出シテイルナ、と言うことに気が付く。しかし実在に接する方法はまだほかにもあるのだ。それは科学に先行するかまたは科学の後からやってくる方法である。これを私は禅的な方法と呼ぶ。

1(二六頁)

 禅的な方法とはじかに対象そのものの中にはいって行くのである。そして実際そのものの中からモノを見るのだ。花を知るには花になるのだ(自他一如)。一片の花となりきって、花となって花を開き、花となって太陽の光を浴び、花となって雨に打ち濡れるのだ。

これが出来て初めて、花が私に語りかけてくる。私は花のいっさいの神秘を知る。花のいっさいのよろこびと苦しみを知る。すなわち花の中に脈打つ花のいのちのいっさいを知るのだ。いやそればかりではない。花を知り得たこの「知」によって全宇宙の神秘を知るのである。この神秘は実は私自身の〝自己(セルフ)〟の神秘でもあるのだ。

この自己の神秘こそかつての私は私の全生涯をかけてこれを追究したにもかかわらずどうしてもつかまえることが出来なかったものなのだ。どうしてだったかと言うと、私自身が追っかける私と追っかけられる私、つまり、モノと影との二つに分かれていたからである。

 こういう鬼ゴッコをしていたのではいつまでたっても私の自己がとらえられなかったのも無理のない話なのだ。どうもこの鬼ゴッコには実は私も力つきてクタクタになってしまった。がしかし、一たび花を知った私は、同時に自己を知ることが出来た。つまり花のまっただなかに自己を喪失して(金井 無我・無心となって)、初めて私は自己を知り同時に花を知ったのである。

 身心一如・自他一如(無我・無心)により、そのものの中に入って、そのものを知る禅的な方法は、「自己を知り同時に花を知」ることになるのです。

 科学は主客分離による対象化の知であり、禅の自己智とは主客未分の一体化の智なのです(他を知る智でもある)。

 ここで大拙氏が説く「禅的な方法」は、野口整体の整体指導者である私にとっては、西洋医学的方法に対しての「野口整体的行法」であり、その第一は個人指導における観察法そのもの(引用文傍線部)なのです。

 氏は右の文章に続いて「科学の網の目」と表現し、科学は実在の全てを掬い取るものではないことを述べています。私が本書で、この「禅仏教に関する講演」を挙げた理由はここにあり、心の世界における実在は科学的には捉える事が出来ないものなのです(具体的な内容についてはここでは触れない)。

 こうした理由から、科学的であろうとした「精神分析フロイト派)」に関わってきた人々が、大拙氏の著書・講演を通じて(およびその人格によって)、禅仏教に深い関心を持つようになったのです。科学的方法によって分かることと、禅的方法によって分かることがあるのです。

 大拙氏は、この二つの法を「真の実在に向って進む二つの道(5参照)」と表現したのです。