野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第三部 第三章 一3 ZENブームの立役者 Daisetz Teitaro Suzuki

 1945年(昭和20)8月、日本は敗戦し、連合軍総司令部GHQ)に占領されました。この時、すでに鈴木大拙氏は満74歳。この後、欧米に空前の東洋思想、禅ブームが巻き起こり、「ダイセツ・スズキ」は一躍、世界的な注目を浴びます。

 氏の仏教著書百冊のうち、英文著作は23冊にものぼり、欧米への最大の仏教普及者として、大拙禅について世界中から講演依頼が殺到したのです。

 特に1950年(大拙氏満79歳)にはロックフェラー財団の委嘱で、アメリカのエール大学、ハーバード大学などで仏教哲学の講義をし、氏の世界的な活動が最も本格的なものとなりました。こうして、大拙氏は1960年代の欧米における禅ブーム(註)の立役者となったのです。

(註)欧米の禅ブーム

 アメリカでは1960年代から70年代にかけ、「ZEN」への関心が急速に高まった。発端は1955年頃、ビートという文学界で異彩を放ったグループの作家たち(ジャン・ケルアックなど)。既成の価値観からの離脱を訴えた彼らが、禅に注目した。後に当時のベトナム戦争への反対運動の高まりによってアメリカに登場した、ヒッピーの若者たちが彼らを支持した。一般に欧米では、禅は50年代までは「本で読むもの」であったが、60年代からは「するもの」となった。

 ここ3では、2③で述べた『禅論文集』第三巻が発刊された1934年以後と、1950年代の主にアメリカの大学での講義を含めた、氏の海外活動について詳しく紹介します(( )内はその年の誕生日以後の満年齢を示す。大拙氏は、1870年11月11日(新暦)生れで、誕生日以前(11月10日まで)は一つ引いた数字が正確)。

主に『鈴木大拙全集第三十巻』年譜に拠る

1936年(66歳)6月、ロンドンの世界宗教大会に日本代表として参加するためアメリカ経由で渡英する。

10月、イギリス・ケンブリッジ大学などで、日本仏教文化に関して講義を行ない、オックスフォード大学で坐禅会を開く。

11月、アメリカに向かいハーバード大学・カリフォルニア大学などで講演、ロスアンゼルス西本願寺で説教する。

11月末、サンフランシスコより帰国の途につく。

― 1941年12月~1945年8月、日米戦争 ―

1949年(79歳)6月、ハワイ大学での第二回東西哲学者会議に出席。9月ハワイ大学で講義(11月文化勲章受章)。

1950年(80歳)2月、ハワイからアメリカ本土に渡り、クレアモント大学で「日本文化と仏教」を講義する。ロックフェラー財団の委嘱で米国・イェール大学、ハーバード大学プリンストン大学ニューヨーク大学などで「仏教哲学」を講義する。

1951年(81歳)コロンビア大学ニューヨーク州)、クレアモント大学(カリフォルニア州)で講義。

1952年(82歳)米国・コロンビア大学客員教授となり、「華厳哲学」を講義する。

1953年(83歳)6月、ヨーロッパに渡る。ロンドンにて講演す。7月、ドイツ、フランスなどを旅行し、オイゲン・ヘリゲルの隠棲の地ガルミッシュの自宅を訪ねる。その後、スイス・アスコナの、ユングが主催するエラノス会議に出席。九月にイギリスからアメリカに戻りコロンビア大学で「禅の哲学と宗教」を講義する。

1954年(84歳)イギリス、ドイツ、スイスなどで講演。

8月、エラノス会議に二度目の出席。

1957年(87歳)8月、メキシコで禅と精神分析に関する会議に参加し、メキシコ自治国立大学で講演。九月、アメリカに戻りポール・ケーラス記念シンポジウムに出席する。ハーバードなどアメリ東海岸の大学五校で禅を講義する。

1958年(88歳)5月、ロンドンで講演。ベルギーで万国博覧会の宗教部会に極東代表として出席、講演する。11月帰国。

1959年(89歳)6月、ハワイ大学における第三回東西哲学者会議に出席する。8月、ハワイ大学より名誉学位(法学博士)を受け、帰国。

 1949年、大拙氏(79歳)二度目の渡米が叶うことになりました。日本が敗戦後の混乱が続いていたこの時代、大拙氏は、戦勝国であるアメリカの地で、禅思想を通し、東洋と日本の考え方や生きる姿勢を知らしめたのです。それは間接的に、日本人の尊厳を取り戻すことに繋がったものと思います。

 大拙氏は、1950年から58年にかけてアメリカに居住し、右のように、アメリカの大学での講義、ヨーロッパでの講演と、世界の大拙として大活躍しました。

 第二章二に引用した「禅仏教に関する講演」(『禅と精神分析』より)は、1957年8月(大拙氏86歳)、精神分析学者エーリッヒ・フロムの主催によりメキシコ(ゲルナヴァカ)で行われた、禅仏教と精神分析学の研究会議(メキシコとアメリカから50名前後の精神科医と心理学者が参加)での講演内容です。

 西洋で「心」に取り組む人たちと禅との出会いは、画期的なことでした。

 645年、三蔵法師玄奘三蔵(602~664年))は、インドで生れた仏教の多くの経典を唐の時代の中国へもたらしました。これが日本に伝えられ、日本仏教、そして禅が発展したのですが、大拙氏はこれを1300年後に西欧世界に伝えた、という意味で「現代の三蔵法師」と称讃されています(仏教が日本に伝来したのは538年)。

 2②で挙げた『鈴木大拙とは誰か』の編者・上田閑照氏は、まえがきで次のように述べています。

まえがき(ⅴ)

…禅の道を歩みながら大乗仏教老荘など東洋の精神的伝統を体現した大拙は、また二十五年にもおよぶ海外での活動、アメリカ人女性との結婚を通して、東洋と西洋とを真に自分に親しい世界とすることのできた稀な世界人である。

大拙の「願」は、世界における、世界のための、東洋の真の意義を探求し実現してゆくことであった。東西異文化の「間」で、東西を包む広大な世界に生きた大拙は、禅や、念仏の妙好人のあり方に、世界に新しい息吹を吹き込む創造的自由、霊性的自覚を見出した。

そして日本人には世界における自覚をうながし、西洋にたいしては世界にとっての東洋の意義を大拙自身の自由な存在をもって示した。大拙大乗仏教の大智大悲の現代世界における作(はたら)きになって働いた。

 世界がとどまることなく画一化システム化してゆきつつある現在、しかも一方ほとんど瀕死の地球上で民族や宗教や利害の対立からの闘争、戦争がやむ様子を見せない現在、この大拙の「人」とその働きを活写する諸風景に触れることは、何かほんとうに大切なことを私たちに気づかせる機縁になるであろう。