野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第三部 第三章 二 近代禅僧の先駆けとなった釈宗演の「仏教東漸」

 ここ二では、大拙氏が渡米するに至った事情、それは近代禅僧の先駆けとなった師・釈宗演の「仏教東漸」について詳しく述べて行きます。

「仏教東漸」の東漸とは、次第に東へ移りゆくことです。

 仏教はインドで興り、やがて中国、東南アジアに伝播し、中国から朝鮮を経て日本へと、東へ伝わりました。

(西域を経て中国、朝鮮半島、日本に伝わった仏教を北伝仏教。スリランカからタイ、ミャンマーなど東南アジアに伝わった仏教を南伝仏教と呼ぶ)

 西にも伝わったのですが、そこでは神は絶対的な存在(一神教に限定した意味ではない)で、人間はただ神を信じ、「ひたすら祈ることによってのみ救われる」とする信仰が主流でした。そのため、仏教の「人間自らが悟りを啓き自身を救う」という教え(救いは神々などの超越的存在によるものではない)は浸透しなかったのです。

 時代が下り近世に入ると、中国や朝鮮では儒教を国家の基本とする政治体制が確立し、仏教が国家に手厚く保護されることはなくなりましたが、日本では江戸時代の長きに亘り幕府による保護が続きました。仏像などの仏教美術は、戦乱が多かった朝鮮半島よりも日本で保存されているものが多く、文化財として保護されています(明治初めには廃仏毀釈運動によって多くの文化財が破壊された)。

 また古く、平安仏教(密教)の頃より、日本人の民族宗教である「神道」と結びついて、仏教は一般民衆に広く浸透していました。

 こうして、仏教を守る「役割」をしてきた日本から、さらに東のアメリカへ仏教を伝えることが「仏教東漸」です。

 1893年大拙氏の禅師であった釈宗演師は、日本仏教界代表としてシカゴ万国宗教会議で演説をすることになり、大拙氏は師の演説の英訳を引き受けました。宗演師はこの演説の中で、伝統仏教から脱却し、近代社会に合致した新しい普遍宗教としての「仏教の可能性」を提示することを試みました。これが後に、大拙氏が世界へ向けて「ZEN」を発信する契機となるのです。

 この経緯について、またアメリカや西欧で大拙氏の思想が現在のように広まった理由について述べて行きます。