禅文化としての野口整体Ⅰ活元運動 序章2 裡の力を振作する活元運動
2 裡の力を振作する活元運動
野口整体の基盤にある他力的な愉気法に対し、自力中心の行法が活元運動です。
愉気をしていると、気の「感応」により体が自然に動き出し、自分で自分の体を整えるのです。意識はあるのですが、動くのは無意識にです。これが活元運動です(活元運動を行おうとする意志は必要)。
人間には、意識して体を動かす以外に無意識に動くはたらきがあり、そのシステムを生理学では「錐体外路性運動系」と言います。この顕著なものとして、くしゃみやあくび、就寝中の寝相といった、意識しない運動がそれです。
後に詳述しますが、この錐体外路系による運動は、私たちが生活する上で、とても重大なはたらきを持っているのです。
愉気をしていると、このはたらきにより体を整えようとして動きが出てきます。誘導すると、いつかほとんどの人が出るものです(稀に、頭が「ポカン」とならない人で出ない場合がある)。
実は体の裡なる智慧は、整うためにどう動けば良いのか知っているのです。どう生きれば良いのかまで、無意識は知っているのです(はじめに「健康の原点」参照)。この「身体智」を啓くのが活元運動です。そのため、活元運動は「動く禅」と呼ばれたり、「密教的易行道」と名付けたりしている人もあります(易行 ←→ 難行)。
これは、体の中の健康を保持しようとする、または、生命が伸びようとする「気」のはたらきによるものです。
「やる気が起こらない」と言いますが、体を活発にするには「気」の動きが大切で、これを呼び起こすのが愉気法です。
井戸水の水位が下がり、汲めなくなった時に「呼び水」をしますが、相手の「気」の動きを誘導するために、こちらの「気」ではたらきかけるのです(「呼び水」の例えは、先の共鳴・磁化と同じ意)。
整体操法の手技で押さえると体が変わりますが、これも力ずくというのでなく、「気」で押さえていくのです。そうして、相手の生命の活発な動き(活元運動)が誘発されていきます。このように、愉気法と活元運動というのは、一組になっているのです。
野口整体では、「裡(うち)の力を振作する(勢いをふるいおこす)」と言い、活元運動を励行しています。