野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第一章二3 健康と病気ーを二元的に区分する西洋的知性・一元的に捉える野口整体の思想③

※掲載を忘れてしまった序章二3③をupします。申し訳ありません。

③建設と破壊によって生命は保たれる

 物理学の大法則として、熱力学第一法則「エネルギー保存の法則」に続く第二法則というものがあります。第二法則は「エントロピー増大の法則」と言い、「秩序があるものは、その秩序が崩壊される方向にしか動かない」というものです(例・水面に落としたインクの分子は、乱雑な方向へ増大する)。

 そういう中で、福岡伸一氏は生命現象について「生命現象は非常に特殊な方法で『エントロピー増大の法則』と必死で戦っているのです。工学的なもの(建物、車など)は頑丈にすれば良い。生命については、初めから『ゆるゆる、やわやわ』に作り、あえて自らを壊し続けることを選択した」と。

 そして「細胞は、何があっても壊し続けます。傷ついたり故障したから壊すのではなく、壊れても古びてもいないのに壊します。つまり『動的平衡状態』は、自ら積極的に壊すことから始まり、作り直すことで補完されて回っているわけです。『エントロピー増大の法則』が生命現象を壊すより先回りして、わざと自らを壊し、つくり替える。」と述べています。

 生命は、死によって破壊がくる前に、自分自身を先に破壊し自己再生することによって、若返ったり成長したりしているのです。

 私たちは普段、この体を自分の身体と考えていますが、目に見えている体を構成する物質はたえず入れ替わっているのです。つまり、目に見えない容れ物である「身体」が生きている自分なのです。

さらには、中身が絶えず入れ替わっている容れ物全体を保つはたらきが「生命(いのち)」ということになります。

 さらに、氏は「絶え間なく壊される秩序はどのようにしてその秩序を維持しうるのだろうか」について、論を展開しています。

 このような福岡氏の動的な生命観が、一般的に認識されるようになったのは近年のことですが、師野口晴哉は昭和の初めより、次のような論を展開していました(『月刊全生』1992年4月号)。

語録

健全なる身体というものは、体の働きが潑剌と、生き生き生きていることなのであって、病気の有無が健全であるなしを分けるのではない。

 一病息災とか無病短命とか、古人の目で見て来たことを語とした言葉であるが、無病病もあれば、健康人の病もあるので、問題はその体の状態であって、健康と疾病は対立する存在ではない。

 建設と破壊の繰り返しによって、人間の生は営まれている事実を丁寧に見る可きであろう。…無病は健康ではない。

 師は古くから言われてきた無病短命を「無病病」、一病息災を「健康人の病」と表現しています。西洋的な知性に拠れば健康と病気は二元的に区分されますが、野口整体の思想(全生)は、体験に基づく「一元論」というものです(西洋「近代科学」は二元論に拠る。西洋医学全盛の時代に生まれた野口整体は、昭和の初めに脱近代化をしていた)。

 病気を治すことを先んじるのではなく、「健全なる身体」を目指すのが野口整体です。