野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第二章 二3 心の病と自発性―「心が動いていない」とは

 問題なのは、彼の場合、社長がどれほどワンマンかということよりも、仕事をする上で、彼の「心が動いていない」ことです。もちろん言われたことはこなしているようですが、そこに「感情」が伴い、心が動いている感じが全く観受けられませんでした。

 指示されたことをやるにしても、それを受けて「よし、やろう!」というように、自分の心が動けば自発的な行動となります。しかし、私が観たところ、彼の頭(顕在意識)は動いていても、心(潜在意識・身体と一つである心)は動いていませんでした。

彼の「心が動きを無くしている」という原因は情動による身体の硬張りで、私はこれを受け取っているのです。

 身体の歪みは情動(多くは無意識化されていて自覚は少ない)によるもので、顔の表情・体の表情・無意動作には、意識に上らない、意識して訴えることの出来ない深層的な思いが表れています。いわば体中が「表情筋」であると言えるのです。

(訴えることの出来ない心、要求は筋肉だけではなく、骨、そして皮膚にも表れている)

 2の、師の「背骨は人間の歴史である」という言葉は、「どのような心で生きてきたかが背骨に顕れている」ということです。

背骨の観察によって捉えたものから、幼い時の家庭環境について尋ねてみました。

 彼には子どもの時から、家族内のいざこざの中、「心の動き」を止めることで、自分を守ってきた過去がありました。彼自身「自分は心が弱い」と言っていたのですが、それをスポーツで体力をつけ、弱い心を堅固にしようとしたのです。

 しかし「トライアスロン」をやることができても、彼の心は未だ動かず、錆付いたままでした。意志による随意筋の訓練(スポーツ)は、感情(人とつながる力)には届かないのです。

 この当時、私は「鉄人レース」と聞けば、何となく、心もしっかりしているものだという先入観がありましたが、随意筋を鍛えることと潜在意識との関係を改めて確認できたのです(随意筋を鍛えても潜在意識には届かない)。

 彼は幼いころの「心の動き」が止まったまま、そしてトラウマを抱えたまま成長したのですが、四十代になって、その潜在意識化された心と意識との葛藤が表面化したのが「うつ病」なのです。

 抑え込まれた不満や怒りといった潜伏感情が、自分の内奥(ないおう)から意識を突き上げる。また、それを意識で抑え込もうとする。うつの人は、こういった意識と潜在意識との葛藤を、それこそ無意識に行っているのです(人とつながるための対話能力の発達こそ肝要)。

 この〝鉄人〟は、活元運動を行なうまでには至らなかったのですが、私には、随意運動と不随意運動について改めて考える機会となりました。

 この男性について、「心が動いていない」と書きましたが、それは、取締役ができるほど意識は発達しており、同時にスポーツ(随意運動)も得意ではありますが、幼い頃の家庭環境の影響により、「感情」のはたらきが悪いのです。

 現代では、こういった問題(意識は発達しているが感情は未発達)を抱える人は、「うつ病」という診断を下されないまでも、数多く見受けられます。