野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第二章 二5 「うつ」状態とは― 心の流れが淀むようになっている現代

 人は一般的にも「あの人は快活だ」、また「暗い人だ」などと見るものですが、これは、心のはたらきを相手の「気」に見ているのです。

 気で〔身体〕(序章 4参照)を観察していますと、心のはたらき(潜在意識)が閊えている場合に「流れが悪い」と観えるのです。このように、私は生命の状態を「川の流れのように」観ています。

 川には、上流の急峻な流れから、下流のゆったりした流れまであるように、人にもそれぞれの速度がありますが、その人として快適に流れていれば良いわけです。

 今現在、大変多い「うつ」についてです。

 本格的な「うつ病」ではなくとも、最近では「うつ的な状態(抑うつ症)」をよく見かけます。顔だけ見ていても分からないこのような状態は、後ろから頭部と背骨を観ることで「心の動きが止まっている」と、私には不自然に観えるのです。これは、先ほど述べた「川の流れ」が悪く、淀んでいるわけです。(これは本章二 1での師の引用文にある「人間の自然の相」ではない)

 ここでうつ状態の分析例を挙げてみましょう。

 この人は、何かでカチンときているのですが、カチンときたという感情はあまり意識されないで、自分の正当性を客観的に判断するために、その時の自分や相手の態度・発言を、正確に捉え直そうと、(頭で)それを反芻して「考えてしまっている」のです。

 またある人は、カチンときた時に、その場で止まってしまい、切り返す適当な言葉が出なかったことに対して悶々とし、さらに、いつまでも気持ちが切り替えられない自分を責めて、「なぜ自分はこうなんだろう」と考えてしまうのです。

 両者ともに、この「考えている」ことが、無意識的に行なわれているというのが、うつ状態の特徴です。

 この程度までなら軽い方ですが、少し本格的なうつの状態に入っているというのは、今度はそういうことにこだわっている「自分が悪い」というように、考えることが自動的に進んで、「ジャッジ(審判)」しているのです(=理性が分離し、自身の感情と「対立」する)。

 初めは、カチンときたという感情が心にずっと引っかかって、ぶつくさ思っているうちに妄想がはたらき、今度はそういうことをしている自分を、頭の中に裁判官を登場させてジャッジするようになるのです(これが極度に進むと死にたくなると思われる)。

 私がこれを現代病だという理由は、「良い・悪い」という科学の二分法的な見方が現代人に定着していることに因るものだからです。このような現代の、客観的思考と感情を抑圧する傾向が合わさって「うつ」が多くなっていると考えています。「二分法・善悪二元論」的思考を越えるものを持つことが現代人には必要なのです(対人関係を円滑にすることに重きをおきすぎて、否定的感情を抑圧しがちな現代)。

 このような人たちは、頭が「ぐるぐる」しているのですが、腰が動かなくなっており、私は指導時、こういう人たちに「頭を回さず、腰を回せ!」と言い、腰が動くよう身体を整えるのです。

「うつ」は、腰の状態だけが問題なのではないが、体が整うことによる「求心的心理療法」となる)

「うつ」を頭の問題とのみ捉えるのではなく、重心が下りた「上虚下実」の身体を実現し、熟睡できるよう心がけることが大切です。