野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第二章 四 瞑想行としての活元運動― 瞑想的な意識と身体感覚を育てる 1

1 活元運動・準備運動を行う時の注意点― 正坐によって行う意味

 活元運動は「動く禅」と呼ばれる瞑想法です。

禅の瞑想では、何も考えないで長い間じっと坐り、湧き出してくる雑念や妄想が次第になくなっていくように努力するのですが、同じ目的を、錐体外路系運動によって行なおうとするのが活元運動です。

 ですから、活元運動は身体が「無心」の状態に至ることが目標です。その為、正坐による「沈思の実践」が肝要で、活元運動を行なう上で正坐は必須のものです。先ずは正坐をし、改まった気持ちで身体に向き合います。

 腰が中心となる正坐という構えは、身体や呼吸に注意を集め易く、自分の意識(心の状態)がどうなっているかの把握を容易にするという利点があります。

 そして、活元運動は無意識(また潜在意識)のはたらきですから、これを活発にするため、現在意識のはたらきを弱める(感情や理性を静め意識が裡に向かう)ことが肝要です(瞑想法一般のあり方と同じ)。

 活元運動に向かう心の態度を、師野口晴哉は「意識を閉じて無心に聴く」と表現しました。

 このようにして、活元運動の準備運動に取り組みます。

 準備運動を行っても、現在意識のはたらきが弱まらない(心が鎮まらない)時、そのままに活元運動を行なうことは良くありません。

 本章一(1②)で述べたように、交感神経が優位なままで、副交感神経優位の状態に切り替わることができない(頭の中にいろいろな気持ち(感情の滞り・雑念)がある)と、良い活元運動とならないのです。

 特に注意すべきは、活元運動を行なって「すっきりする」効用を味わった人で、ぽかんとならない(頭が忙しい)まま効用を急ぎ、活元運動をしようとすることがあります。これでは、無心の運動とはならないのです。

 長年の経験者なら「ぽかん」としないと、良い運動が出ないことは、よく承知していることです。

 良い活元運動とならない身体(意識)の状態があるのです。

 活元運動を正坐で行なうことは、上体の動きを下半身で支えるというもの(註)で、それで運動が発展することができるのです。

(註)正坐は下半身を屈して、上体を和らげる(腰より上を楽にする)もので、骨盤部や大腿部という下半身にきちんと力が入るのが、正坐の理想的なありよう。下半身に力が入ることで上半身の力が抜け、上体の自由度が増す(これが闊達な心=「上虚下実」の意義)。

 活元運動を行なう上では正坐が基本ですが、正坐をすると足が痛い人は、坐(ざ)蒲(ふ)(坐禅の際に使用する円形の座布団)や座布団(厚くないもの)を使う方法があります。より正坐が苦手な人は、椅子坐(背もたれのない丸椅子)も可です。正坐に無理がない(重心が低い)身体へと進んでから正坐での運動を行なって下さい。

 また、活元運動は疲れすぎて余力がない時は不適当です(特に、活元会の場ではなく一人で行なう場合)。そして自覚せぬ疲労(緊張)で、準備運動をしても「ぽかん」としないことがありますが、こんな時も活元運動は発動しにくいものです。余力があり、改まった気持ちで臨める時行なって下さい。

 自分の意識状態を自覚して活元運動を行い、運動によってその変容を感じ取ることが大切です。

 整体とは、「良い空想ができる身体」と言えますが、このような意識状態に変容することが活元運動の目標です(つまり、潜在意識のクリーニングである)。