禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第二章 四3 身体感覚を高めて生命の全体性を捉える
師野口晴哉は『整体入門』で、活元運動の反応について次のように述べています(第三章 外路系の訓練より)。
反応には三段階がある
活元運動や相互運動をつづけていると、体が敏感になって、体の健康を保とうという働きが高まるので、それに応じて、いろいろな変動が現われてきますが、それらをひっくるめて、「反応」と呼んでいます。
師は、反応として以下の三つを挙げています。
(一)弛緩反応…初めだるくなり、眠くなってきて、妙に疲
れたような感じがするが、快い。そして身体全体が弛んでくる。
(二)過敏反応…身体に水が流れるような感じや、少し寒い
ような感じがして、発熱・痛み・発汗などの急性病に似た過敏な変動が起る。
(三)排泄反応…身体の老廃物や悪いものが体外に排泄され
る。排泄作用として皮膚に変化が現れたり、多汗になることもある。排泄が行なわれる度に快くなる。
(詳しくは『整体入門』六四頁を参照)
同著の「反応の経過で注意すべきこと(65頁)」には、「バケツに三杯ぐらい下痢をした」などという表現がありますが、一般的にはこれほどのことはないと考えて良いのです。また先の反応三つが、誰にも同じように起こるものではありません。
初心者として、また中級へと進む中で、活元運動について「これでいいのだろうか」と思うことがあると思いますが、「身体感覚」が発達することや「勘」が育っていく中で理解が進むものです。
『整体入門』や『健康生活の原理』で、反応について一通り読み、心構えを持つことは必要ですが、自身の身体と対話し、身体感覚にたずねることで反応を経過していくのです。
身体感覚が発達すると、身体の快・不快に敏感になり、快を大事にすることで、「要求に沿う」ことができます。三 1でも取り上げましたが、師野口晴哉は「どれが正しいかは自分のいのちで感ずれば、体の要求で判る。これが判らないようでは鈍っていると言うべきであろう。」と述べています。
(とりわけ科学的現代社会においては、「感ず」るに先立ち、考えることを止める、つまり瞑想意識を高めることが肝要)
身体性の訓練とは「感覚・勘・直感」を磨くことなのです。
ある母親は、自分の幼い子がアトピーを発症し、薬を塗った後、「さーっ」と湿疹が引いた我が子を抱いた時、その子がすっかり軽くなってしまった(緊張したことを意味する)ことを感じ、この時「二度とこのようなことはしてはいけない」と直感したとのことです。彼女は薬で湿疹を抑えることが全体に与える影響を感じ取ったのです。これは、モノの「重い・軽い」ではないのです。
新生児訪問で、巡回の保健師が「バネ秤」で乳児の体重を測ることで、成長度合(標準の範囲かどうか)を見る(=数値に重きをおいて是非を問う)という現代では、数値化(註)できない「おもさ」に対する感性が失われています。
これも科学的価値観を絶対視してきた影響です。背中に負ぶった子が、寝ると重くなることは、経験者なら良く理解するところです(眠りと脱力の関係)。
(註)数値化 科学的であることを示す三要素「数値化(客観的)・論理性(合理的)・再現性(普遍的)」の一つ。
大人で敏感な人が、何らかの薬で、この子どもと同様軽くなってしまう(=気が上がってしまう)ことがあれば、どれほど不快なことか感じられるというものです。しかし、幼い子はこれを表現することはできないのです。
本章一で紹介したNさんも、妊娠中の教職生活で無理が重なる中、三歳の長女に辛く当たるようになってしまったことで、娘が保育園にいる時、じんましんが出るということがありました。それで園の指導もあり、皮膚科に行き、処方されたステロイド剤を塗り抗生物質の内服薬を飲ませることになりました。
劇的に効いて翌日には腫れが引きましたが、Nさんは「抑えるようなことをしていいのか」と迷い、二日で薬をやめたのです。
するとその後一週間、じんましんは掻くたびに広がっていき、夜中もかゆみでイライラする長女をなだめ、タオルで冷やして寝かしつけるなどしていました。長女は甘え方が赤ちゃんのようになって、おっぱいを求めたりするようにもなったそうです。
このような長女の「心理的要求」に、この時期応えていくのか、またはステロイドを塗って見た目だけ「問題がない」状態で過ごすのかは、その人(親)の感性で判断することです。
身体感覚が敏感になると無意識がはたらき、部分に捉われず生命の法則に順うことができるのです。(表面的な症状に捉われず「全体性」を大事にする)